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相撲開祖の墓 各地に点在(とことんサーチ)

祖先をあがめ古墳造営に力 技術集団・土師氏の影

日本の国技である相撲が初めて行われた場所は奈良である。そう聞いても、京都より歴史の古い奈良であれば、特に想像に難くはない。ではそこで相撲を取った人物は誰だったのか。調べてみると関西のあちこちでその人物の墓標が見られるという。一体どういうことなのか。

相撲館けはや座には本場所と同じサイズの土俵がある(奈良県葛城市)

まず向かったのは、全国でも珍しい相撲の博物館、相撲館けはや座(奈良県葛城市)。館の中央には本場所と同サイズの土俵があり、立つと厳粛な雰囲気に背筋が伸びる。

運営を担当する同市職員の西川好彦氏は「ここでは相撲の開祖とされる當麻蹶速(たいまのけはや)を顕彰している。しかし、実は蹶速は日本初の天覧相撲で負けた人」と話す。日本書紀によると、4世紀初めの垂仁天皇の頃、現在の葛城市に當麻蹶速という力自慢がいた。そこで垂仁天皇が、島根の出雲国から野見宿禰(のみのすくね)を呼び寄せ相撲を取らせた。

結果は宿禰が蹶速を蹴り殺して勝利。「当時の相撲はルールが整備されておらず、今の総合格闘技に近かった」と西川氏。同館の近くには蹶速の墓だと伝わる塚も残されている。一方、「勝利した宿禰の墓については、幾つか説があるようだ」(西川氏)という。

奈良時代に成立した「播磨国風土記」で、宿禰が没した地とされる兵庫県たつの市。市内には宿禰が埋葬されているという古墳が伝わり、野見宿禰神社が建つ。石扉には出雲大社千家氏の紋章があり、玉垣には明治期の東西の力士らの名が連なっている。

市立龍野歴史文化資料館の市村高規館長は「龍野の地は大和朝廷と出雲との中継地点。宿禰が往来の途中に亡くなったのはかなり信ぴょう性がある」と指摘する。中国地方にあるゆかりの地、大野見宿禰命神社(鳥取市)と菅原天満宮(松江市)にも宿禰の墓があるが、両者とも「龍野で没した宿禰の骨を分骨して墓を建てた」と口をそろえる。

これに物言いをつけるのは、大阪府高槻市の上宮天満宮だ。境内にある野身神社には「式内野身神社并野見宿禰墳」という石柱が立つ。森嘉和宮司は「宿禰は埴輪(はにわ)の創始者でもあり、葬儀や古墳造営を担う技術者集団、土師氏の祖先。社史によると、かつて周辺に土師一族が住んでいて、宿禰をまつったと考えられる」と話す。

さらに調べると、奈良県にも宿禰の墓があるという。宿禰と蹶速が取り組みをした「相撲発祥の地」である相撲神社(同県桜井市)。山道を登ると、こぢんまりとした境内に顕彰碑や土俵がある。さらに南東の山向こうには、出雲と呼ばれる地区に宿禰の塚と、顕彰する五輪塔があった。

出雲区長を務める門脇秀樹氏によると「そもそも日本書紀の記述は7月7日に垂仁天皇が宿禰を呼び寄せ、その日のうちに取り組みがあったように読める。出身地は島根ではなく奈良の出雲で、ここが生没の地と伝承されるのも不思議ではない」。

なぜこんなに宿禰の墓があるのか。市村氏は「宿禰も蹶速も伝説上の人物。当時の大和朝廷内部の勢力争いで、勝利した土師氏が後に自分たちのルーツとして創作したと考えられる」と推察する。墓でなく、宿禰をまつった神社となると全国にはもっと多い。

これらの情報を総合すると一つの説が浮かび上がる。古墳時代、土師氏が豪族の造墳のため精力的に全国へ散った。そこで「土師」にちなんだ地名が残り、人々が祖先の野見宿禰をあがめるあまり、墓と称する場所が広がった。

各地に点在する宿禰ゆかりの史跡の数々。そこには脈々と継がれる歴史のロマンがあふれていた。

(大阪・文化担当 安芸悟)

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