神戸の小中、教室でも土足(謎解きクルーズ)
港町の欧米文化、校舎狭く靴箱なし 「油引き」思い出のにおい

2015/7/18 6:00
保存
共有
印刷
その他

神戸市に引っ越してきた多くの小中学生を戸惑わせるのが「教室は土足」というルールだという。市内の9割以上の市立小中学校では上履きがなく、靴のまま廊下や教室を歩く。大阪や京都などにも土足の学校はあるが、ここまで統一されているのは異例。なぜなのか。

神戸の小中学校の9割以上が教室に土足で入る(神戸市灘区の美野丘小学校)

神戸の小中学校の9割以上が教室に土足で入る(神戸市灘区の美野丘小学校)

梅雨空が続く7月上旬、市立美野丘小学校(灘区)を訪れた。神戸の街を見下ろす円形校舎で学ぶ子供たちの足元は色とりどりのスニーカーだ。先生も土足。どこにも靴箱はない。

雨天なのに板張りの床はそれほど汚れが目立たない。学校に入る際にマットで靴底の汚れをしっかり落とすからだという。「『油引き』といって土ぼこりが立たないよう床に油を引く」と嶋田良円校長。神戸出身者はこの油のにおいが思い出に重なるらしい。

市教育委員会によると市立小中学校246校のうち上履き制は17校だけ。市教委の取り決めはなく各校が自主的に判断して、この割合だ。嶋田校長が「他都市に移り住むまで靴箱の存在を知らなかった」というのもうなずける。

☆ ★ ☆

土足制の学校は京都や大阪にもある。京都市教委によると、戦後すぐに建った学校は土足制が残るという。ただ建て替えとともに上履きの導入が進み、今は「数は少ない」。大阪市教委も「教室は上履きの学校が多い」と話す。両市とも正確な数はつかんでいないが、土足が9割を超す神戸はやはり特殊なようだ。

日本では藩校や寺子屋の時代から履物を脱いで教室に入る習慣が定着していた。それが明治以降も続いたとみられる。1950年代頃に日華ゴム(現ムーンスター、福岡県久留米市)などが現在の上履きの原型を世に出し、全国の小中学校で普及していった。

なぜ神戸が独自の道を歩んだのか。学校建築に詳しい京都華頂大学(京都市東山区)の川島智生教授は一つの仮説を挙げる。「敷地の狭さと急増する人口に対応するためではないか」という。

明治に入り急速に発達した神戸では学校整備を急ぐ必要があった。大正期には日本で最も早く、高層化に適した鉄筋コンクリートが小学校校舎に採用される。鉄筋コンクリート構造は木造より構造計算が難しいため、柱の間の距離など基本的な寸法を標準化することになった。

☆ ★ ☆

ところが山と海に挟まれ、坂も多い神戸では平たんな用地を十分に確保できない。子供の急増に校舎が間に合わず午前と午後の二部授業制をとる学校も多かったという。「そんな実情に合わせ靴箱を置かない『ひな型』になった可能性がある」(川島教授)

もう一つが欧米文化との近さだ。外国人居留地や異人館が身近だったため「土足文化」になじみがあったという説だ。実際、1923年、国内でも早い時期に百貨店「白木屋神戸出張所」が土足入場を始めている。

神戸でも校舎の建て替えに伴い上履き制を導入する例はある。市立筒井台中学校(中央区)もその一つ。山口弘校長によると生徒からは「土足の時よりごみが少ない」と好評という。一方、土足制にも「移動がスムーズ。災害など非常時に早く動ける利点がある」と話す。京都などよりも上履き制への移行の動きが鈍いのは、阪神大震災の経験があるからかもしれない。

靴底に泥がつきやすい土の校庭が多い日本は上履き制がなじむのかもしれない。ただ土足で過ごす学校生活も神戸の個性。このまま消えてしまうとしたら惜しい気もする。

(神戸支社 下前俊輔)

保存
共有
印刷
その他

関連キーワード

電子版トップ



[PR]