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近大流養殖 世界うならす 海を耕す(1)
軌跡

2017/3/14 6:00
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 太平洋戦争に敗れ、漁船と領海の多くを失った日本漁業は壊滅的打撃を被った。1946年刊行の「造船協会会報」は、戦前に年平均540万トンあった漁獲高が戦争の始まった41年に63%まで目減りし、終戦の45年には36%に激減したと記す。危機感を抱いた大阪理工科大学(近畿大学の前身)学長の世耕弘一は海を畑になぞらえ、栽培漁業で「海を耕す」と唱えた。

稚魚が入った水槽の傍らに立つ原田・水産研第2代所長=近畿大学提供
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稚魚が入った水槽の傍らに立つ原田・水産研第2代所長=近畿大学提供

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 48年に和歌山県白浜町に「臨海研究所」(後の水産研究所)を設立し、ハマチをターゲットと定めた。養殖といえばコイなど淡水魚が主力の時代で、周辺の漁師は半信半疑だったが、弘一は意に介さない。なにしろ戦争中の42年1月、東条英機内閣が進める統制経済に衆議院議員として帝国議会で批判の論陣を張った反骨の人。「10年待てばうまくて安い魚を食べさせてあげる」と平然と言い切った。

 ハマチ養殖を託されたのは53年に近畿大学助手として同研究所に着任した原田輝雄。それまでの養殖は入り江を堤防で仕切る「築堤式」が主流だったが、工期が長くコストもかさむ。のちに第2代所長となる原田は、海面に浮かべたいかだに網をつるし、その中で魚を育てる簡便で低コストの「いけす網式」を考案した。これが世界中の養殖場に広まった。原田は60年末から年明けにかけ、育てたハマチを大阪市中央卸売市場に出荷した。大学生まれの魚という希少性もあって面白いように売れ、5000尾で約400万円になった。ハマチは出世魚。関西ではツバス、ハマチ、メジロ、ブリと名前が変わる。養殖ブリ類の国内生産量は61年に約1900トンだったのが、2015年には約14万トンに増え、弘一の予言通りになった。

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 水産研は65年にヒラメ、67年にヘダイとイシダイ、68年にブリと、世界初の人工ふ化による養殖を次々と成功させた。だが大学の予算だけでは十分な研究ができない。育てた魚を売って得た金で設備を購入し、和歌山、富山、鹿児島に実験場や種苗センターを開設した。当世風にいえば「大学発ベンチャー」だが、アカデミックな世界は大学が研究成果で資金稼ぎすることを嫌い「あんなものは研究ではない」と冷ややかだった。異端扱いされた近大水産研が世界初のクロマグロ完全養殖に成功し、一躍脚光を浴びるのはまだ先のことである。(敬称略)

 編集委員 竹田忍が担当します。

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