2019年3月23日(土)

一寸法師は浪速っ子なの?(謎解きクルーズ)
「住吉の浦」から京へ上り鬼退治 ほこら/おわん舟競争… 道頓堀で街おこしも

2015/3/14 6:30
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大阪・道頓堀の路地裏をぶらぶらしていたら、ずいぶんと小さなほこらを見つけた。目を凝らすと「一寸法師大明神」と書かれ、貼り紙に「難波の里から一寸法師様の物語は始まりました」とある。えっ、昔話で親しんできた小さなヒーローは浪速っ子だったの?

道頓堀の路地にある「一寸法師大明神」(大阪市中央区)

道頓堀の路地にある「一寸法師大明神」(大阪市中央区)

一新されたグリコの看板がきらめくミナミ。道頓堀と法善寺横丁を結ぶ約40メートルの「浮世小路」に一寸法師大明神はある。幅1メートルほどの狭い路地。扉を開けると、おわんに乗った少年が顔をのぞかせた。

「商売繁盛の神様で、近くの飲食店で働く人が出勤前にお参りする姿をよく見掛ける」と、浮世小路を手掛けたイベントプロデューサーの吉里忠史さんは話す。2004年、地元から寄付を募り、大正から昭和初期の道頓堀をイメージしてつくったという。

「あまり知られていないが、一寸法師は大阪生まれ。立身出世の物語は商売人の街にぴったりでしょ」と吉里さん。驚いて、日本文学を研究する石川透・慶応大学教授に確かめると「一寸法師は大阪人。間違いありません」。

◎ ◎ ◎

一寸法師は室町から江戸初期に成立した短編物語「御伽草子(おとぎぞうし)」の一つ。「津の国難波(なにわ)の里」のおじいさんとおばあさんが住吉大社(大阪市住吉区)に祈願して一寸(約3センチメートル)の子どもを授かる。「住吉の浦」から出発して京の都に上り、鬼を退治して打ち出の小づちを手に入れ大きくなる。「津の国」は摂津国のことで、現在の大阪と兵庫の一部。「難波」はもちろん大阪だ。

住吉大社の末社の種貸社にあるおわん(大阪市住吉区)

住吉大社の末社の種貸社にあるおわん(大阪市住吉区)

出身地があまり知られていないのはなぜか。疑問を解くため住吉さんに向かう。

「一寸法師は明治期、物語を簡略化した童謡が作られ、文部省唱歌に採用されて一気に知名度が上がった。ところが歌詞には出身地が無い」と権禰宜(ごんねぎ)の小出英詞さん。確かに5番まである歌詞に登場する地名は「京」「三条」「清水」。「そのため、京都出身と思われることが多い」と嘆く。

住吉大社は2000年ころから、古代・中世史の再検証に取り組んだ。そこで、子宝や商売繁盛の御利益と結びつく一寸法師との関わりが見直されたという。現在、境内に直径約2メートルの巨大なおわん、「一寸法師発祥の地」と書かれた顔出し看板を設置。グッズなども販売する。

おわんに乗って楽しそうな人たちを眺めていると、権禰宜の大星将臣さんが「02年に道頓堀で開かれた一寸法師レースに使われたもの」と教えてくれた。当時、道頓堀商店会の会長を務めていたお好み焼きチェーン店、千房の中井政嗣社長が発案した。

中井社長を訪ねると、写真を見せてくれた。2つのおわんにそれぞれ男女2人が乗り、オールをこいでいる。橋の上には見物客が鈴なりだ。

「道頓堀を盛り上げたい」と考えていた中井社長は、ひょんなことから一寸法師が大阪出身と知る。「おわんの舟に箸の櫂(かい)。食い倒れの街、大阪にぴったりや!」。滋賀県の造船会社に強化プラスチック製のおわん舟を2隻発注。重さ200キロもある赤と黒のおわんが100メートルレースを競った。

◎ ◎ ◎

御伽草子によると、一寸法師は「住吉の浦」から出発し、「鳥羽の津」に到着した。舞台になった時代は住吉大社の近くまで海が広がっており、挿絵に住吉大社から出発した様子が描かれている。「住吉大社から大阪湾経由で淀川を上って鳥羽に向かったと考えられる」と石川教授。

一方、中井社長は「道頓堀から出発した」と唱える。一寸法師は出立の際、「住み慣れし難波の浦を立ち出でて」と和歌を詠んだ。「難波津」の港は道頓堀に近い現在の三津寺周辺だったとの説があり、道頓堀でも理屈は合う。

いずれにせよ、懸命に川を上っていく姿を想像するとなんだかワクワクする。小さき者として生まれながら大望を抱き、立身出世を果たす一寸法師。どこか太閤さん(豊臣秀吉)に似て、浪速っ子の心をくすぐるヒーローなのだ。

(大阪・文化担当 佐々木宇蘭)

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