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関西発

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再開発で「ヒガシ」を 大阪砲兵工廠の遺産(4)
軌跡

2014/8/8付
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終戦後10年以上も、がれきの山のまま放置されていた大阪砲兵工廠の跡地を舞台に、開高健は「日本三文オペラ」、小松左京は「日本アパッチ族」を書いた。在日韓国・朝鮮人らが夜中に川を越えて入り込み、工廠跡の鉄くずを運び出しては売却した。彼らと警察の攻防を新聞は「アパッチ族」と書き立てた。

1919年完成の旧化学分析場は現存する数少ない工廠の建物

1919年完成の旧化学分析場は現存する数少ない工廠の建物

「あまりにも広大な廃虚の闇に方向感覚を失って歩くことさえ困難だった」。小説「夜を賭けて」に梁石日氏は自らの体験を記している。アパッチ族が警察に蹴散らされ、がれきの山も整地されて公園などに生まれ変わったのは1960年代に入ってからだ。

工廠の敷地のうち現在の大阪ビジネスパーク(OBP)周辺は52~61年に近畿財務局から松下興産(現・MID都市開発)などに払い下げられ、工場や倉庫になっていた。OBPに再開発するマスタープランがまとまった69年から半世紀近く、日建設計プロジェクト開発部門の松本敏広さんはずっとかかわってきた。

OBPのような大規模都市開発は東京の新宿副都心で60年ごろに始まっていたが、新宿が都庁主導なのに対し、OBPは民間主導。住友生命保険、松下興産、竹中工務店、日建設計など関係各社の「社長会」が「旦那衆のような付き合いで『補助金はいらない。自分たちで好きにやりたい』と、強い熱意を持って開発を引っ張った」(松本さん)という。「キタ」と「ミナミ」を御堂筋で結ぶ大阪の直線的な都市構造に、「ヒガシ」を加えて面的に広げようという壮大な狙いがあった。

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