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関西発

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都市の息吹、江戸期から 船場は復活するか(3)
軌跡

2014/10/2 6:30
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太平洋戦争に突入した1941年生まれの近江晴子さんは、船場で育った。実家は金属やプラスチックの表面処理薬品を製造・販売する奥野製薬工業(大阪市中央区)。現社長の奥野和義さんは近江さんのおいだ。

「小さい頃よく遊んだ」というガスビルの前に立つ近江さん(大阪市中央区)

「小さい頃よく遊んだ」というガスビルの前に立つ近江さん(大阪市中央区)

「どの家も川沿いに座敷があり、夏は風が吹いて涼しかった。対岸の家とは向かい合うので、みな行儀よくしていましたよ」。窓からパンを付けた糸を垂らし、よくクロベンケイガニを釣ったという。

戦後、大阪はいち早く復興を遂げ、近江さんが小学生の時にはミナミの繁華街は深夜0時ごろまでにぎわっていた。近江さんもしばしば両親に連れられて映画や芝居を観に行った。「中学生の春休みには40本ぐらい見た」

だが、彼女の母親世代にとって戦前の船場は肩のこる生活だったようだ。「江戸時代から続く共同体では商売や家族構成、使用人の数まで近所の人に知られプライバシーがなかった。お祭りでは家の格に応じた支出が求められた」

大阪天満宮文化研究所の研究員でもある近江さんは「何百年にもわたって窮屈な生活をしてきたから、レベルの高い都市文化が生まれた」とみる。その代表が船場言葉で「相手に気を使い、相手を立てる」。食文化が発達し舌も肥えていたから、終戦直後の学校給食は堪えられなかった。近江さんは「パンは奈良の鹿せんべいのようで、鯨の油を使ったてんぷらは食器に臭いがついて取れなかった」と振り返る。

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