2019年9月22日(日)

道路載せた「巨艦」船場センタービル(謎解きクルーズ)
全長1000メートルの「両得」建物に 行政、道通したい 問屋、立ち退きイヤ

2015/1/31 6:30
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大阪市営地下鉄中央線の堺筋本町駅を降りると、レトロな建物に迷い込んだ。その名は船場センタービル。狭い通路の両脇に衣料品店や雑貨店、飲食店など、多種多様な店が並んでいる。「広くて古くて何が何だか分からない」というのが第一印象。地上に上がってみると、東西に延びるビルの上には高架道路が走っている。「1000メートルの散歩道」の不思議を追った。

船場センタービルは建物の上に高架道路が載る世界でも類を見ない構造物だ

船場センタービルは建物の上に高架道路が載る世界でも類を見ない構造物だ

船場センタービルは堺筋の東から御堂筋の西までの約1キロメートル、いくつもの道路をまたいで1号館から10号館が連なる。鉄筋コンクリート造りの地上4階、地下2階の建物内には約840店舗がひしめく。館内は微妙な段差や曲がり道があり迷路のよう。1980年代は地下にボウリング場まであったという。

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なぜ高架道路や地下鉄と一体化した建物ができたのだろうか。ビルを管理する大阪市開発公社の鬼頭克則取締役は「70年に完成した大阪万博の遺産の一つです」と教えてくれた。

戦後間もなく、東大阪の工場地帯から大阪港までをつなぐ中央大通を通す計画が持ち上がった。当時の船場は大小400以上の繊維問屋が並ぶ大阪有数の商業地帯で、全店舗の立ち退きを迫るのは不可能。船場地域だけが取り残された形で工事が進んだが、大阪万博の開催が決まって待ったなしに。そこでビルの上に道路を走らせ、ビルに店舗を収容する発想に至った。

建築史が専門の倉方俊輔・大阪市立大学准教授は「突拍子もないようで合理的な大阪人の考え方を象徴する建物」とみる。立ち退きたくない商人と道路を通したい行政を満足させる構想力は「力強い妥協というか、いかにも大阪商人の発想だ」。名称はビルだが「建築より土木に近い」(倉方准教授)。世界でも類を見ない構造物という。

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由来を知ったところで改めて中を歩いた。店舗が雑然と並び、どこで何を売っているかわかりにくい。フロアごとに紳士服、婦人服と分かれる商業ビルと異なり、紳士服店の隣に呉服店があったり、生地の専門店があったりする。その理由はビル内の複雑な権利関係にあった。

鬼頭さんによると、建設費を軽減するためにビルの敷地を入居者に分譲した。代替わりや売却で所有者が変わったところも多いが、今も入居者の6割は区分所有者。カテゴリーごとにテナントを集約しようとしても「区分所有者の権利を整理する必要があって難しい」という。

入居者でつくる船場センタービル連盟の池永純造会長に上手な歩き方を聞くと「同じように見えても、それぞれ専門分野が違う」と教えてくれた。よく見ると同じ婦人服店でもブラウス専門や黒い服専門、ズボン専門と取扱商品が異なる。「複数の店を訪ねて気に入ったものを少しずつそろえれば、自分だけのコーディネートができる」

今は半数ほどの店舗が一般客向けの小売りも手掛けるが、開業当初は卸売専門店が大半。今も「一般客お断り」の札を掲げた店は多い。池永会長によると「日本の商店街のファッションを支えてきた」そうで、北海道から九州までの商店街の衣料品店が買い付けに来るという。

とはいえ、ショッピングセンターなどに押されて商店街の洋服店は衰退気味だ。センタービルに買い付けにくる客も減り、かつてのにぎわいはない。

開業45周年を機に、集客力を取り戻す試みも動き出した。昨年8月に外装を現代的に刷新する工事を始め、今年5月に完成する予定。全館を挙げたセールも年内に4回催す計画だ。従来はばらばらに実施していたが、初めて一致団結したという。

卸売専門店が主体だった頃の名残で、衣料品店などは今も午後6時に閉館し日曜日は全館が休業する。一般消費者には使いにくい面もある。倉方准教授は「この建物のエネルギーをどう生かすか。建設時の大胆な発想が問われている」と話す。にぎわいを取り戻すことはできるだろうか。

(大阪経済部 鈴木卓郎)

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