2019年1月20日(日)

「お菓子の神様」なぜ和歌山に(謎解きクルーズ)
ミカンの原種タチバナの木、元祖伝わる 毎年の祭り、各社が看板商品

2014/8/20 6:30
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和歌山県に「お菓子の神様」をまつる神社があると聞いて驚いた。日本には八百万(やおよろず)の神がいるというけれど、お菓子の神様とはどのようなものか。全国的にも珍しいお菓子の神社はなぜ和歌山にあるのか。神社巡りが趣味の記者が気になって調べてみた。

「お菓子の神様」を祭る橘本神社(和歌山県海南市)

「お菓子の神様」を祭る橘本神社(和歌山県海南市)

JR海南駅からタクシーで南へ10分ほど行くと、加茂川と市坪川が交わるところに、お菓子の神様をまつる橘本神社(海南市)がある。訪れると、宮司の前山和範さんが境内を案内してくれた。

祭神は田道間守命(たぢまもりのみこと)。古事記や日本書紀で第11代と伝えられる垂仁天皇の命を受け、不老不死を与えるというタチバナを探しに中国へ旅に出たという人物だ。田道間守命が日本に持ち帰ったタチバナの木が植えられたのが橘本神社近くの「六本樹の丘」と伝わっている。境内にはこのタチバナの木が立っている。

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タチバナはミカンの原種で、現代のように砂糖などを庶民が口にできなかった昔はタチバナの実を加工して菓子として食べていた。つまりタチバナは「菓子の元祖」ともいえ「それが日本で初めて植えられたのがうちです」と前山さんは話す。こうした由来から橘本神社はお菓子の神社と呼ばれるようになった。和歌山県がミカンの生産量で日本一なのも偶然ではないのかもしれない。

毎年4月の菓子祭には全国の菓子メーカーが看板商品を奉献する

毎年4月の菓子祭には全国の菓子メーカーが看板商品を奉献する

橘本神社の創立年代は不明だが、白河法皇が熊野行幸の際に泊まり、歌を詠まれた史実がある。「永享9年(1437年)」と書かれた棟札も残っている。江戸時代には紀州藩主、徳川光貞が修繕した記録もあり、歴史があり格式の高い神社だったことがうかがえる。

その後は廃れ、小さな祠(ほこら)とタチバナの木が1本残るのみとなったが、明治期に地元の人の手で復興。六本樹の丘から今の地に遷座された。1961年に全国の果物・菓子などの業者や地元の浄財を得て神殿を改築し、現在に至る。

神殿改築から4年後に始まったのが毎年4月第1日曜日に開かれる菓子祭だ。祝詞奏上、「浦安の舞」奉納、参拝者や地元の子どもらによる「田道間守の歌」の合唱などが行われる。今年で50回の節目を迎えた同祭には全国から約150社の菓子業界関係者が訪れた。自社の看板商品を納めて業界の繁栄を祈願する。

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どんなメーカーが何を納めているのだろう。1689年創業で、京都土産の定番、八ツ橋で知られる聖護院八ツ橋総本店(京都市)は奉献の常連だ。鈴鹿且久社長は「橘本さんには戦前からお参りに行っていたようです」と話す。老舗の信仰もあつい。

江崎グリコは1987年からビスケット「ビスコ」を奉献している。グループ広報部の岡本浩之部長は「『グリコ』に次ぐ歴史ある商品であり、奉納した後は近所の子に配られるため」ビスコを選んだと説明する。「2012年に創業90年を迎え、100周年が見えてきたのも御利益のおかげ」と岡本さんは笑う。

取材するうちに、田道間守命をまつる神社は橘本神社のほかにもあると知った。例えば中嶋神社(兵庫県豊岡市)もその一つ。豊岡は田道間守命のふるさとであり、4月には中嶋神社でも同じように菓子祭が開かれる。

節分祭で知られる京都・吉田神社の境内にも「菓祖神社」があり、田道間守命と日本で初めてまんじゅうを作ったとされる林浄因命という2神をまつっている。菓祖神社は京都の菓子業界の要請で建てられ、橘本神社と中嶋神社の祭神を鎮座させたものだという。

前山さんによると、このように橘本神社や中嶋神社を分祀(ぶんし)して設けられた神社は全国にあるという。

日本にはグリコのような大企業から地場の和洋菓子店まで数多くのメーカーがある。東南アジアから来た観光客が大量の菓子を買っていくなど最近では外国人の間でも人気が高まっており、クールジャパンの一翼を担う。菓子の業界がここまで発展できたのは、やはり田道間守命の御利益だろうか。

(大阪経済部 早川麗)

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