2019年8月20日(火)

京の風物詩 呼び名に違い(とことんサーチ)
鴨川は床(ゆか) 江戸期起源、現代は高床

2016/7/23 6:00
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■貴船は川床(どこ) 「奥座敷」と床の間 重ね

 いよいよ夏本番。京都市中心部を流れる鴨川では川辺にせり出す座敷で涼しげに会席料理などを楽しむ「納涼床(のうりょうゆか)」がにぎわっている。夏の京都の風物詩だ。筆者はこの納涼床を「川床(かわどこ)」と呼んで渋い顔をされた経験がある。どうやら場所によって読み方が異なるらしい。由来を探ってみた。

江戸時代には既に「ゆか」と呼ばれていたという、鴨川沿いの納涼床(京都市中京区)

江戸時代には既に「ゆか」と呼ばれていたという、鴨川沿いの納涼床(京都市中京区)

納涼床は鴨川沿いや洛北の貴船がよく知られる。二条から五条付近に約100軒が並ぶ鴨川沿いは店から張り出すテラス形式。これに対し、貴船は座敷から川面に手が届くほど。鴨川の納涼床は「床(ゆか)」、貴船は「川床(かわどこ)」と呼ぶのが習わしだ。

まずは鴨川沿いにお邪魔した。京都鴨川納涼床協同組合の北村保尚専務理事(58)が取材に応じてくれた。四条河原町付近で納涼床を出す「もち料理 きた村」の2代目主人だ。

北村さんは「私論ですが『ゆか』という呼び方は高さを意識しているのではないでしょうか」と話す。確かに鴨川沿いの納涼床は川面からは3メートル近く離れた「高床(たかゆか)」だ。

鴨川沿いの納涼床は昔は貴船の形式に近かった。だが、明治時代頃から高床が立ち並び始めた。昭和時代に入ると基準が定められて現在の形式に統一されていったそうだ。

さらに歴史をたどるべく、同志社大学に向かった。文学部の山田和人教授(64)に鴨川の納涼床の歴史を改めて尋ねると、「江戸時代には、すでに床(ゆか)と呼ばれていたようです」。その歴史は江戸初期まで遡るという。当時の鴨川は現在より川幅が広く、四条付近には川の中央に大きな中州があったそうだ。1669年、両岸に石垣を積む護岸工事が施される。それ以降、芝居小屋などが周囲に集まるなどして栄えた。

鴨川と差異化するために、貴船では別の呼び方にしたとの説もある(京都市左京区)

鴨川と差異化するために、貴船では別の呼び方にしたとの説もある(京都市左京区)

祇園祭のころには中州の中心に見せ物小屋などが建てられるようになった。祇園のお茶屋が川辺に長いすのような床几(しょうぎ)を床のように敷き詰めて涼める場所をつくった。これが納涼床の起源だそうだ。江戸初期の文献には「床」という表現が用いられ、江戸中後期には「日本一の夕涼み」の名所となった。

では「京の奥座敷」と呼ばれる貴船はどうだろうか。山あいにある貴船は京都市中心部より気温が10度近く低いとされ、避暑地として人気が高い。

1967年創業の料理旅館「貴船 仲よし」の3代目、中村祥平さん(40)は、「貴船は京都からみて地理的に奥まった所にあるため、『床の間』の『床(とこ)』にちなんだと聞いたことがあります」と話す。床の間には神様がいるとされ、貴船神社をそれに見立てたという。

貴船で納涼床が始まったのは大正時代頃と言われている。鯖(さば)街道の道中で洛中まで残り約10キロメートルの地点の休憩場所としてお茶や料理を出したのが始まりとされる。初めは数軒ほどだったが、今では貴船川沿いに約20軒が並ぶ。鴨川沿いと比べて後発だったこともあり、「違いを出すために別の呼び方をした可能性もある」(山田教授)など諸説あるようだ。

呼び方の違いはどれほど浸透してるのだろうか。7月上旬の休日の昼下がり、貴船の川床に大阪から訪れた6人グループに尋ねると、一斉に驚きの声が挙がった。堺市在住の阪本健也さん(25)は「どちらも川床(かわどこ)だと思っていた。『川』という字がつくからイメージしやすい」。

京都鴨川納涼床協同組合の北村さんは、客から「川床を予約したいのですが」と問い合わせを受けると、つい「『ゆか』でよろしいですか」と返してしまうと話す。「少しいけずかもしれませんが、やはり歴史があるので『ゆか』と呼んでもらえるとうれしい」とほほ笑む。

(京都支社 浦崎健人)

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