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財閥解体、戦後貿易リード 「五綿八社」の興亡(5)
軌跡

2017/9/19 17:00
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紡績会社とともに日本の産業革命を推進した関西の繊維商社「五綿八社」は、第2次世界大戦後に再び脚光を浴びる。戦後復興期も繊維が日本の主要産業であったうえ、GHQ(連合国軍総司令部)の政策で三井物産三菱商事が財閥解体の対象となったためだ。

三菱商事社史資料編によると、GHQの指令による同社の解散で、163社の"新会社"ができた。

「関西五綿」の例では、1941年に伊藤忠商事と丸紅商店などが合併。戦後の49年には「過度経済力集中排除法」によって伊藤忠商事や丸紅などに分かれたが、三井物産や三菱商事のように細かく分割されることはなかった。

専修大学の田中隆之教授によると、「総合商社」という言葉が使われるようになったのは戦後だが、三井、三菱は戦前から総合商社化していた。五綿にとって「総合化」の先行走者だった両社が、一時的に脱落した格好だ。

公正取引委員会事務局が編集した資料を見ると、53年9月期決算で伊藤忠や丸紅の商品取扱高は、「大合同」で再結集を終える前の旧三井物産系や旧三菱商事系の商社を上回っている。

「五綿八社」はどんな響きをもつ言葉だったのか。アパレルの小泉(大阪市)の植本勇会長は「今で言うブランド」と話す。有力企業群を指すだけでなく、信用力の高さも感じさせる言葉だったようだ。

50年に朝鮮戦争が勃発すると、五綿八社は特需景気で一段と利益を増やした。繊維製品の輸出を伸ばしたほか、「新三品」と呼ばれたゴム、皮革、油脂の取り扱いに力を入れた。

しかし特需の反動が、五綿八社の経営に大きな打撃をもたらす。繊維輸出のキャンセルが相次ぎ、新三品も大幅に値下がりした。

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