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熟練者と共演、京都舞台に技磨く(次代の創造手)

能楽師ワキ方 有松遼一さん(32)

「シテ方から信頼される演者に」 研究者の仕事と両立

能楽はシテ方(主役)、その相手役のワキ方といった役が舞台を勤める。演目数は約200に及び、謡の詞章(文章)を覚えるだけで大変だ。プロの演者になっても生計を立てられる保証はない。大学時代、ワキ方の魅力に目覚めた有松遼一は、そうした苦労を承知で能楽の世界に入門。京都を拠点にワキ方を中心にしながら学究の道も歩む。

◎  ◎

7月下旬、有松は名古屋を拠点にするワキ方高安流の飯冨雅介に、能の名曲「松風」の稽古を求めて出向いた。飯冨からは「君みたいな年で演じられるなんて幸せや」と声をかけられた。一昔前なら芸歴10年に満たない演者は師匠の身の回りの世話、楽屋の掃除など「楽屋働き」をこなす時期。出演するにしてもメーンのワキではなくワキに従うワキツレが妥当だった。

京都の能楽界の応援を受けながら、ワキ方として活躍する有松さん(京都市左京区)

須磨に流された貴公子と海人の交流を描いた「松風」は味わい深い演目。それだけに熟練者が演じるのがふさわしいとされる。今回、有松が出演機会を得たのは「経験を積ませよう」という周囲の配慮があった。

現在、京都を拠点にするワキ方は有松を含めて7人。熟練者が高齢などで抜け、ワキ方の育成は京都能楽界の課題だ。有松が名古屋の飯冨に師事したのも、そうした事情がある。

能楽を志したきっかけは京都大学1回生の時、同級生に誘われて見た「京大観世会」。観世流シテ方に能を学ぶ学生サークルだ。「体を動かすことは不向き」と思っていたが、何度か見学するうち謡や仕舞に感じるものがあって入会する。

3回生の時、同会が催した能の会で平家一門の平清経を描いた「清経」のワキ方を演じ、興味が増した。「教えを受けたワキ方高安流の谷田宗二朗先生の人柄に引かれた」と振り返る。

4回生の時は、能の会で人気演目「船弁慶」を上演するにあたり、自らワキ方を志願した。ただ卒業後は研究者を志望。プロの演者になるつもりはなかった。連歌を中心に室町時代の文学を学んでおり、京大大学院文学研究科に進んだ。

◎  ◎

その後も谷田を囲む学生の会合に出席を続ける。2007年には修行を積むため谷田に正式入門したが、その年の秋、谷田が病没する。師を失った有松は京都のシテ方に教えを請うなどした後、同じ京都のワキ方高安流の若手3人と一緒に飯冨に師事した。

京都の能楽界も応援する。一例が若手研究公演。12年、観世流シテ方の片山幽雪と小鼓方幸流の曽和博朗という2人の人間国宝が「楊貴妃」で共演の機会を設けた。幽雪は「先輩が一人入るだけで舞台のできは随分違う。修行のあり方を考える機会にしてほしかった」と話す。有松は「お二人の存在感に流されまいと必死だった」と振り返る。

学究にも励み、京大大学院の修士と博士課程を修了。論文を提出すれば博士号を得られるところまで来た。現在は同志社女子大学で嘱託講師として古典芸能の講義を週1コマ持つ。

今後は博士号をとって、研究者と能楽師の仕事を両立したい考え。能楽には遅い入門だったが「まじめに取り組んでいれば、いつか舞台にきらめきが出る」と信じる。目指すは「シテ方から信頼される演者になること」。その一念を胸に出演依頼を受けた舞台を懸命に勤める。=敬称略

(編集委員 小橋弘之)

〈ばっくぼーん〉「稽古も本番」茶道に学ぶ
 もともと日本的な様式美に興味があって、習い事は能楽より茶道の方から始めました。中学2年の時、祖母や父と泊まった旅館で、仲居さんの振る舞いが端正だったのがきっかけです。
 「どうしたら、あのようにできるの」と尋ねたら「お茶を習うのが1番」との答え。それから祖母が師事していた茶道裏千家の先生のところに、一緒に稽古に通い始めました。
 京大では「京大観世会」と同時に裏千家の茶道を習う学生サークル「心茶会」にも入っていました。心に刻んだのは「稽古もすべて本番。精神を集中させねばならない点において稽古も本番も変わりはない」こと。この心構えは能楽でも同じです。

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