繊細な生態 手塩にかけ 近大マグロの完全養殖(ここに技あり)
和歌山県串本町
日本の味を代表するマグロ。稚魚の減少で供給に不安が強まる中、近畿大学水産研究所は天然の稚魚がいらない完全養殖技術を完成させた。繊細で飼育が難しいマグロの養殖技術は完成までに30年以上かかった。
紀伊半島南端の大島実験場(和歌山県串本町)。海上の直径30メートルの円形のいけすで体長1.2メートル、体重60キログラムのマグロの群れが水面近くに姿を現し、水しぶきを上げながら餌の冷凍サバを食べる。飼育統括を担う技術員の中谷正宏さん(52)は「3~4年育てて、出荷時期に差し掛かったクロマグロ」と説明してくれた。
水産研は暖流の影響で水温が高い大島実験場を舞台に、最高級魚であるクロマグロの完全養殖に1970年に着手した。しかし、研究は失敗と落胆の連続。「クロマグロは非常にデリケートで、ストレスや負傷に弱い」(中谷さん)ためだ。稚魚を海で捕まえようとしても皮膚が弱く、人の手や網に触れるだけで死んでしまう。成魚まで育てても約10年も産卵せず、研究が停滞する時期も経験した。
苦境を乗り越えるため、まず地元の漁師と協力し、引き縄漁で稚魚を捕らえる手法を開発。釣り針を使って稚魚を一本釣りし、釣り針をバケツに張った糸に引っかけて外し、手を触れずに稚魚を生け捕りにした。

その次に塩分濃度や酸素量を調整し、卵のふ化を促した。ふ化しやすい優れた卵は軽く、海水に浮きやすい。塩分濃度が高い海水を使えば卵に浮力が加わり選別が容易になるが、濃度が高すぎれば卵にストレスがかかる。塩分計と酸素計を駆使して最適な塩分濃度の海水を使い、卵が酸欠状態に陥る前に素早く選別処理を終える手順を考えた。
さらに成長してからも、いけすの近くを通る車のライトに驚き、網に衝突死する問題があったが、いけすを大型化して乗り切った。
94年に産卵を再開でき、2002年に今度は人工ふ化したクロマグロの産卵を実現し、完全養殖に成功した。13年には養殖魚専門店「近畿大学水産研究所」を開店した。普及に向けた取り組みが続く。
文 大阪経済部 草塩拓郎
写真 玉井良幸
養殖中の死因の多くは、いけす網への衝突という。高価なマグロに接触しては大変、と不安を覚えたが無駄な心配だった。近づこうにも近づけない。繊細な神経を持つ彼らは私と一定の距離を保ち泳いでいたのだ。いけすの底で、頭上を横切る群れを静かに待った。