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もっと関西 堅固な石垣 徳川の威厳 新宮城跡(時の回廊)
和歌山県新宮市

2017/4/7 6:00
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和歌山県の東南端、熊野川に臨む新宮城跡(新宮市)。小高い山に張り巡らされた石垣や、城内に侵入した敵を攻撃する虎口(こぐち)、川に突き出た出丸(でまる)などが良好な状態で残る。全国的な知名度は低いが、近世城郭のお手本のような堅固な構造だ。

本丸の桝形虎口。敵勢を四方から鉄砲や弓矢で攻撃できる

本丸の桝形虎口。敵勢を四方から鉄砲や弓矢で攻撃できる

城がある小山の標高は約40メートルで、縄張りは東西320メートル、南北400メートルほど。ふもとから眺めれば山の中腹から頂にかけ、至る所に石垣が見て取れる。長い石段を登れば、まず本丸の虎口に行き着く。

■山頂から熊野川

いくつか種類がある虎口の中でも、出入り口の周囲を石垣で方形に囲った桝(ます)形虎口と呼ばれるタイプだ。城内へ殺到した敵勢を四方から鉄砲や弓矢で攻撃できる。きれいに加工した石を用いた「切り込み接ぎ」で積まれた石垣は整然としており、敵を寄せ付けない雰囲気を感じさせる。

山頂の本丸からは北を流れる熊野川を見渡すことができる。本丸から川へと張り出した石垣が出丸だ。「行き交う船を見張るための施設だったのでは。二重の櫓(やぐら)があったことも発掘調査から判明している」。在野の研究者を中心とする和歌山城郭調査研究会の水島大二さんは言う。

熊野川に向かって突き出た出丸

熊野川に向かって突き出た出丸

城の建造は江戸初期。紀州藩主の浅野氏が築城を始めたが、一国一城令でいったん廃城に。浅野氏が広島に移った後、徳川家康の十男、頼宣(よりのぶ)が藩主となり、幕府から派遣された藩の付家老(つけがろう)、水野氏が新たな新宮城主として築城を継続。1667年ごろに完成した。

水野氏は石高3万5千石。これほどの規模の城郭を築くには力不足だが、本来は幕府直参だったことから特別扱いを受け、一国一城令の例外にもなったとされる。

中世の山城から発展した近世城郭の特徴は、本格的な石垣と堀、高い櫓などだ。築城技術が頂点に達した江戸初期に建造された新宮城について、水島さんは「川のほとりの要害の地に教科書通りに築かれた城郭といえる」とした上で、「伊勢との国境で一揆が多い地区でもあることから、立派な城郭で紀州徳川家の威厳を示す必要があったのでは」と付け加えた。

■保存状態は良好

新宮城跡を歩いて驚くのは石垣の保存状態の良さ。天守台周辺は明治以降に通路などが加えられたため一部崩されているが、大部分は江戸期のまま。当時の建物はすでになく、堀も大部分は残っていないが、往事の威容を今に伝えるには十分だ。

戦後、城跡内で旅館が営業し、ケーブルカーが設置されていた時期もあった。新宮市が用地を買収するなどし、現在は公園として整備されている。市文化振興課の小林高太さんは「明治以降、空襲や火災も無く、本格的な開発も実施されなかったことで、これほど良好な石垣が残された。春は桜の名所でもあり、市民の心のよりどころになっている」と話す。

文 大阪・文化担当 田村広済

写真 淡嶋健人

《交通》JR紀勢本線新宮駅から歩いて10分ほど。立ち入り禁止エリアや足場が悪い場所もあるので注意が必要。

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