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大阪・奈良に「帝塚山」(とことんサーチ)

名門2校 ルーツは同じ 創立は25年の差 70年代から別の道

大阪市内の高級住宅街といえば「帝塚山」を思い浮かべる人が少なくないだろう。同じ地名は奈良市にもあり、大阪に「帝塚山学院」があれば奈良には「帝塚山学園」と双方に幼稚園から大学までを擁する名門校がある。偶然の一致なのだろうか。

南海難波駅から9分。小高い丘にある帝塚山駅(住吉区)周辺には、文化財級の洋風住宅などが点在する。

研究者や行政の担当者など複数の関係者に話を聞いた。地名の由来は4~5世紀の帝塚山古墳で、周辺が宅地化したのは大正期のことだ。当時の大阪は「煙の都」と呼ばれるほど煙害が深刻だった。郊外へ移住しようと、船場の豪商らが不動産会社「東成土地建物」を設立、1914年に付近の分譲を始めた。

同社の役員らが中心となり16年、「英才教育が受けられる学校も必要」と学校経営に乗り出す。こうして設立されたのが帝塚山学院。学院の「100年史」を編さんした八木孝昌元参与(75)が「以前は松林に覆われていたようだ」と教えてくれた。

17年開校の小学校では、NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルでニッカウヰスキー創業者、竹鶴政孝の妻リタが英語を教えたことも。学院は拡大を続け、南海沿線に旧制中学を置く構想を打ち出す。

ところが用地取得の交渉は不調に終わる。そこで登場したのが「大阪電気軌道」、現在の近畿日本鉄道だ。沿線の土地8万坪の無償提供を申し出た。八木さんは「奈良の帝塚山学園を創設したのは学院だった」と打ち明ける。

奈良市の帝塚山学園を訪ねた。米田準法人課長は「その通り」と認めた上で、「ただし当初から別法人」と付け加えた。

学園は41年の設立。学院が奈良県に進出する際に、大阪府が「現地で新たに学校法人を作るように」と指導した結果だが、当初は役員が兼務していたようだ。周辺はアカマツの林が広がる田園で、学院の生徒らが集団疎開したこともあった。

戦後、近鉄グループが本格的に宅地造成に着手。自然豊かな環境と利便性から邸宅が建ち、学園に由来して「帝塚山」や「学園」の地名が生まれた。地元自治会長で73年ごろに大阪府内から転居してきたという広嶋嘉昭さん(73)は「高級住宅街としてあこがれの的だった」と振り返る。

両校はその後も人事交流などがあったが、70年代中ごろから疎遠に。奈良の帝塚山中高が難関大への合格者を出す進学校として知られるなど独自の道を歩む。両校とも「現在は無関係」と強調、住民も「(奈良の帝塚山は)知らない」(住吉区の50代主婦)と話すように、今となっては特に意識されていないようだ。

だが、取材で訪れた際にあることに気がついた。中高の女子の冬服が酷似しているのだ。校章もそっくり。学院が提唱した教育方針「力の教育」を、学園が今も使い続けていることも分かった。

かたや戦前の「大大阪時代」の由緒を、かたや関西私鉄の沿線開発のあり方を伝える。2つの「帝塚山」は、関西のまちと教育の近代史をそのまま物語っているように感じた。

(大阪社会部 桜田優樹)

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