2019年6月25日(火)

華麗な装飾 戦前物語る 観心寺の恩賜講堂(時の回廊)
大阪府河内長野市

2015/11/6付
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国宝・重要文化財に指定された平安~室町期の仏像や建造物が数多くある真言宗の名刹・観心寺(大阪府河内長野市)には近代建築遺産に分類される不思議な建物がある。金堂の西、敷地の端に立つ恩賜講堂だ。

シャンデリアなど意匠を凝らした恩賜講堂の天井

シャンデリアなど意匠を凝らした恩賜講堂の天井

正面の幅約22メートル、奥行き約24メートル。入り母屋造りの建物の外観は歳月を経てにび色になり、閑静な山寺の境内に溶け込んでいる。が、中に入ると様相は一変する。約6.5メートルという高い天井に施された鮮やかな色彩の宝相華(ほうそうげ)文様の装飾、豪華な3基のシャンデリア、板張りの床。柱のない大空間が目に飛び込んでくる。

■昭和天皇ゆかり

昭和3年(1928年)、京都御苑で行われた昭和天皇即位の大礼。その際に建てられた大饗宴(きょうえん)場の木材や装飾品が下賜され、この講堂が建てられた。橿原神宮と関西大学にも下賜され、会館などが建てられたが、既に解体されており、当時の饗宴場の姿をうかがわせるのは観心寺の恩賜講堂だけになっている。大礼で造営された種々の建物の転用を調査研究した京都市文化財保護課の原戸喜代里さんによると、下賜先は寺社や学校など全体では95団体に上るが、現存しているものは少ない。

観心寺が選ばれたのは、楠木正成ゆかりの寺だったためだ。後醍醐天皇に付き従い、鎌倉幕府滅亡後に天皇自らが政治を執り行う建武の新政(中興)の立役者になった正成。幕末から明治維新にかけての尊皇思想の広がりの中で忠臣の鑑(かがみ)としてあがめられ、大楠公(だいなんこう)と称される存在になった。

入り母屋造りの外観は閑静な境内に溶け込んでいる

入り母屋造りの外観は閑静な境内に溶け込んでいる

明治期の正成崇敬の機運の高まりは、戦に敗れて自害した神戸市に湊川神社が創建され、皇居前に大きな銅像が建てられたことからもうかがえる。正成に関係のある地域では祭典が行われるようになった。

観心寺塔頭(たっちゅう)の中院は楠木家の菩提寺であり、正成の首塚もある。大阪府知事や大阪市長が役員になって正成を顕彰する大日本楠公会が昭和2年(27年)に設立され、本部は観心寺に置かれた。寺の山門の近くには正成の銅像がある。

■正成崇拝映す

「銅像建立には南河内全域から広く寄付を募った。貧しい人も一銭は出し、南河内が一体となる雰囲気だったようです」。前住職の永島龍弘長老は語る。大正から昭和にかけては、正成を取り上げた映画や演劇、伝記出版などが相次ぎ、今では想像できないほどの正成崇拝が起きていた。

昭和9年(34年)の建武中興六百年祭と翌年の楠公没後六百年祭では盛大な催しが各地で行われた。後醍醐天皇のために戦った正成の足跡は偉業とされ、揺るぎない忠義が日本の精神とされた。恩賜講堂の部材や装飾は鉄道で河内長野まで輸送され、駅から寺までは地元の多くの人の協力で牛車を使い運ばれたという。

戦後、大日本楠公会はなくなり、"正成信仰"は沈静化していった。山里にある恩賜講堂の華麗な装飾は、戦前の日本を覆っていた思想の熱と人々のエネルギーを今に伝えている。

文 編集委員 堀田昇吾

写真 三村幸作

《見学》恩賜講堂の内部は普段は非公開だが5月の楠公祭に合わせて開催される少年剣道大会など催しの際は見ることができる。11月7、8日にはNPO法人・文化遺産保存ネットワーク河内長野主催の講演会が同講堂で開かれる。問い合わせ先は同ネットの尾谷氏(電)090・6903・6137。

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