薬湯の香り、旅人癒やす 大名も一休みの旧和中散本舗(時の回廊)
滋賀県栗東市

2015/8/14 6:00
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江戸時代、東海道を行き来する旅人に、腹痛などの道中薬「和中散(わちゅうさん)」を売り、薬湯をふるまった薬屋が当時そのままの姿で残っている。滋賀県栗東市六地蔵にある「旧和中散本舗」だ。間口が広い構えの店舗の向かいには馬繋(うまつな)ぎも残り、現代のサービスエリアのように旅人が足を休めた情景を彷彿(ほうふつ)とさせる。「いつ訪れてもタイムスリップした気分になります」と滋賀県教育委員会文化財保護課の井上優さんは話す。

■東海道の名物

旧東海道の傍らに立つ旧和中散本舗(滋賀県栗東市)

旧東海道の傍らに立つ旧和中散本舗(滋賀県栗東市)

当時、近隣の街道沿いには和中散屋が並び、名物として土産物に重用された。「参宮及び吾妻(あづま)上下の旅客も足をとどめさせて、薬を立てて散湯(さんとう)を恵む」。江戸時代のガイドブック「東海道名所図会」はこう紹介している。今残るのはその一軒、大角家だ。「17世紀前半に和中散を最初に売り出した大角弥右衛門一族の店です」と井上さんは話す。

25代目当主の大角淳子さん(57)に案内してもらった。現存する家屋は17世紀末ごろに建てられた。広々とした店先には釜が据えられている。「湯を沸かして薬湯を提供したのでしょう」と大角さん。巨大な木製動輪や歯車、石臼を組み合わせた製薬機も目を引く。轟音(ごうおん)を響かせて実演販売を行い、道を行き交う人々を呼び込んだという。

和中散は「腹痛をおこした徳川家康が服用し、たちまち快癒。薬効をたたえて家康が命名した」との伝承を持ち、「ぜさい」「じょさい」の商号と共に様々な名所図会や道中記で紹介され広く知られていた。江戸の大森や大坂の天下茶屋などにも店があったが創製はここ、六地蔵だった。

明治天皇も立ち寄った小休本陣から見る庭園

明治天皇も立ち寄った小休本陣から見る庭園

草津宿と石部宿の中間に位置する大角家は、大名や貴人が一休みする「小休(こやすみ)本陣」の顔も持っていた。店の隣に立つ書院は立派な棟門を構え、玄関の千鳥破風には見事な透かし彫りの欄間がのぞく。襖(ふすま)や屏風には曽我蕭白(しょうはく)や狩野永納が筆を振るった。奥に設けた庭は池と築山を配し、背後の山を借景に取り込む見事な眺めだ。大田南畝(なんぽ)やシーボルトら著名人が訪れ、明治時代に入ると明治天皇が道中3回も立ち寄った記録が残る。

■重文・名勝・史跡に

大角家は戦前まで和中散の製造販売を続けたが、薬事法(現・医薬品医療機器法)制定を受けて廃業した。国から建物は重要文化財、庭は名勝、全体が史跡に指定されているこの店舗に、今も大角さんが家族と暮らし続ける。事前に申し込めば見学可能だ。

 JR手原駅から徒歩約25分。見学の申し込みは電話またはファクス077・552・0971。予約なしで見学できる公開日は毎月第1土曜(ただし今年9月は第2土曜に変更)。

JR手原駅から徒歩約25分。見学の申し込みは電話またはファクス077・552・0971。予約なしで見学できる公開日は毎月第1土曜(ただし今年9月は第2土曜に変更)。

4年前に父、24代目弥右衛門氏を亡くした後、家を守る淳子さんは、昨年から地元の市民組織やボランティアガイドと連携して予約なしでも見学できる公開日を月1回設けている。「観光施設ではなく生活の場なので色々大変。友人らの手を借りることもあります」。淳子さんはこう話しつつ笑顔を絶やさない。

「ぜさい」の看板が下がる軒先や店内の天井に、ツバメが掛けた巣が幾つも残っているのに気付いた。「毎年ひなを育てていきます。今年は2組が来てくれました」と淳子さん。旧街道に昔日のにぎわいはないが、店は旅行く者たちを今も優しく迎える。

文 大阪文化担当 竹内義治

写真 尾城徹

〈より道〉 「本家」巡る争いで話題に

江戸時代、東海道の名物の一つとして知られた和中散屋の繁盛ぶりは葛飾北斎「東海道五十三次」や名所図会などの絵図に描かれた。栗東歴史民俗博物館で、こうした関連史料を紹介している。

栗東歴史民俗博物館では和中散に関する史料を紹介している

栗東歴史民俗博物館では和中散に関する史料を紹介している

和中散屋同士の競争は激しく、PR合戦と共に本家争いの訴訟が繰り広げられた。史料には大角家の商売敵だった織田家の店を扱ったものも多い。「文献で確認する限り大角家が先発。だが訴訟は膳所(ぜぜ)藩をバックに付けた織田家に有利な内容で和談となり、織田家が『本家』、大角家は『本元』の看板を掲げることになった」と滋賀県教育委員会の井上優さんは説明する。

ただ、こうした騒動が広く報じられたおかげで和中散の知名度はさらに高まった。また織田家は19世紀初めに店を畳み、くだんの看板は今は大角家に伝わっている。

同館の松村浩館長は「栗東は、全国に赴いて鋳物を製作した『辻村の鋳物師』の里としても知られる。当時は農村だったこの近辺でなぜこうした技術が生まれたのか、系譜はよく分からない」と話す。

なお大角家の曽我蕭白(しょうはく)の襖(ふすま)絵(え)は現在、同館が保管しているが展示はしていない。

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