/

幸運求めて西へ東へ(時の回廊)

大阪七福神巡り 大阪市

この正月、初詣に併せて七福神巡りをした人もいるのではないか。今は参拝が通年化している七福神巡りだが、大阪では戦前、1月7日が「七福神巡りの日」だったという。

大阪七福神の一つで寿老人ならぬ「寿老神」を祭る三光神社(大阪市天王寺区)の小田礼五郎宮司(87)によると、戦前は7日に社寺を巡回する臨時バスが運行されるほど人が押し寄せた。「神社ごとに食べ物の名物があり、参拝客は楽しみにしていた。うちはおでんでした」と懐かしむ。

内外の神仏一体

七福神は不思議な信仰である。純粋に日本発祥の神様は恵比寿(えびす)だけ。古代インド由来の神・大黒天と日本神話の大国主命(おおくにぬしのみこと)が習合した大黒、同じくインド発祥で仏教の神仏になった弁財天と毘沙門天(びしゃもんてん)。寿老人と福禄寿は中国の道教の神仙で、布袋(ほてい)は死後に神格化された中国の実在の僧――。日本古来の神と外来の神仏が一体となった集団に繁栄や開運、長寿を願うのだ。

七福神信仰は室町時代に始まったとされるが、誕生の経緯は定かではない。断片的な史実と時代背景からこんな推測がされている。

土台になったのは個別にあった「福の神」信仰だ。恵比寿は漁業の神、大黒は食や台所の神として祭られていた。商工業が盛んになる中、他の神々も次第に御利益をもたらす信仰の対象になった。都市で暮らす人が増え、地域に根ざした氏神ではなく、幸せを授けてくれる神がもてはやされるようになっていた。応仁の乱で人心が疲弊し、明るいあしたを夢見る民の期待があったのかもしれない。

なぜ7つかは、中国の「竹林の七賢」になぞらえた、仏教の七難即滅、七福即生(そくしょう)に合わせた、ともいわれる。ただ、これも定説はない。

長い歴史があるのに誕生の経緯があまり究明されなかったのは、七福神の混然さが尋常ではないからではないかと思える。うかがえるのは厳密で論理的な教理ではなく、今後の幸せを願う人々の思いの強さだ。それは日本文化の一側面であるおおらかさ、異文化の受容度の高さを示している。

日本文化を象徴

歴史学者の上田正昭・京都大名誉教授はかねて、七福神を日本文化の象徴の一つと指摘してきた。古いものと新しいものが併存する文化、たたりを恐れる対象を幸福をもたらす神に逆転させてしまう文化、外来のものを受け入れ和風に変えてしまう文化である。

七福神を祭った社寺を順番に参拝するのが盛んになったのは江戸時代だ。大阪のできごとを記した「摂陽奇観」に1803年(享和3年)、「順拝発起」したという記録がある。ただ「布袋尊=善通寺」など現在はない社寺もあり、時代に応じて社寺の組み合わせは変わっていったようだ。

現在の大阪七福神は、まもなく十日えびすでにぎわう今宮戎神社など、大阪市の浪速、中央、天王寺各区の7社寺。「最近は朱印を集める若い女性らが七福神巡りをする姿もよく目にする」(同神社)という。

文・写真 編集委員 堀田昇吾

 《巡り方のポイント》大阪七福神の社寺は比較的狭い範囲に集まっている。巡る順番は自由だが、JR大阪環状線・地下鉄長堀鶴見緑地線玉造駅近くの三光神社から反時計回りに巡り、四天王寺布袋堂に至るコースが回りやすいとされる。全行程は9キロほどで、全て歩いても2時間半~3時間。朱印を7つ集める色紙も販売している。

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

関連キーワード

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン