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もっと関西 近代陶芸 巨匠の原点 富本憲吉の生家(時の回廊)
奈良県安堵町

2017/7/28 6:00
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近代陶芸の巨匠、富本憲吉(1886~1963年)は色絵や金銀を施した模様で知られる。奈良県安堵町の生家では、自然から着想を得た“富本模様"の原点を再発見できる。

富本憲吉が生まれ育った生家の離れ(奈良県安堵町)

富本憲吉が生まれ育った生家の離れ(奈良県安堵町)

閑静な住宅街でひときわ目立つ旧家が富本の生家だ。母屋など建物の多くは建て替えられたが、環濠(かんごう)屋敷特有の堀や門、離れの和室は富本が育った当時とそれほど変わらない。

■周辺の自然観察

戦国期に安堵城の出城があった場所で、富本家は大和の戦国大名、筒井氏ゆかりの武家だった。その後は庄屋や大地主になり、江戸期に環濠屋敷が建てられた。今も長屋門が残り、正面の堀で金魚が涼しげに泳ぐ。約2千平方メートルの敷地に母屋、離れ、土蔵など5つの建物が並ぶ。

富本が特に好んだのが離れの8畳の和室だった。書院や床の間がゆったりとした空間を演出する。周辺の風景や自然を観察し、離れでデザインを考えた。時には縁側に座り、中庭の植物を眺めることもあったという。

天理大学非常勤講師の吉田栄治郎氏は「自分は大和武士の子孫という強い思いがあり、生家周辺を『うぶすな』と呼んで意識した」と話す。うぶすな、とは「生まれた土地」といった意味で、「観察は自己のアイデンティティーを確かめる意味もあった」という。

「模様より模様を造るべからず」。富本の言葉に込められたのは模倣せず、徹底した自然観察から模様を造る決意だ。その創作過程を垣間見れるのが離れにある戸棚の天袋。縦30センチ横40センチ程度のふすま4枚に、筆で描いたエビヅルの葉のスケッチが貼られている。目に留まった花や葉を何枚も何枚もスケッチし、自然の造形から見いだそうとしたのだという。

■独自模様を着想

離れのふすまにはスケッチが残っている

離れのふすまにはスケッチが残っている

代表作「四弁花模様」もテイカカズラの花がモチーフだ。当時居を構えていた東京・世田谷には安堵から苗を取り寄せて育てたテイカカズラがあった。奈良県立美術館の飯島礼子主任学芸員は「スケッチするうちに本来5弁の花びらが4弁になり、よじれも出てくる。自分の表現を求める信念が模様に命を吹き込んだ」と指摘する。

竹のデザインも原点は安堵。30歳代前半のころ、友人の英国人陶芸家バーナード・リーチと月夜の生家周辺を散歩していて、3層の蔵とそれにかぶさる竹林を見た。代表的な模様「竹林月夜」誕生のきっかけだ。

生家は富本の没後に荒れ果てたが、知人の実業家、辻本勇氏が整備し、74年に「富本憲吉記念館」をオープン。2012年に閉館し、土地と建物は奈良市の公益社団法人の手に。同法人から委託された観光業のワールド・ヘリテイジ(奈良市)が建物を改修し今年1月、滞在型交流施設「うぶすなの郷 TOMIMOTO」としてよみがえった。インバウンド(訪日外国人)の利用も見込んでいるといい、富本のデザインを世界発信する拠点となりつつある。

文 奈良支局長 浜部貴司

写真 大岡敦

 《交通・ガイド》西名阪自動車道の法隆寺ICから約6分。入場はレストランか2室ある宿泊施設の利用、または定期的に行われる陶芸体験などへの参加が前提だが、安堵町などが催すイベント開催日には一般開放することも。4月に行われた「あんど桜まつりと夢あかり」に続き次回は8月5日の「あんど祈りのつどい」。

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