2018年11月21日(水)

幕末の静かなる威容 和田岬砲台(時の回廊)
勝海舟が立地選定 神戸市

2015/1/30 6:30
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三菱重工業神戸造船所(神戸市)の構内に、勝海舟が立地選定などに関わったとされる和田岬砲台(国史跡)が残る。1864年(元治元年)の完成後、初めてとなる大修理が昨春終わり一般公開されている。約4年がかりの大修理と、それに先立つ調査を通じ、約150年前の最先端技術の実像が浮かび上がった。

砲身を突き出す窓が並ぶ石堡塔の2階。通常は非公開(神戸市兵庫区)

砲身を突き出す窓が並ぶ石堡塔の2階。通常は非公開(神戸市兵庫区)

■震災に耐える技術

砲台は、巨大なブロック状の花崗岩(かこうがん)を積んだ直径約15メートル、高さ約11.5メートルの円筒形で「石堡塔(せきほとう)」と呼ばれる。内部は木造2層。1階は弾薬庫、2階と屋上が砲座だった。

厚い扉を開けて中に入ると、太さ50センチ前後もある柱や梁(はり)が目を引く。「内部は城郭の建築技法で建てたのだろう」と修理を手掛けた藤木工務店(大阪市)の佐々木信治RM担当課長は話す。通常は非公開の2階を見せてもらった。砲身を突き出す窓(砲眼)が並び、大砲を固定する鉄金具が各所に取り付けてある。

推定3000トンの花崗岩を積み上げた和田岬砲台の石堡塔(神戸市兵庫区)

推定3000トンの花崗岩を積み上げた和田岬砲台の石堡塔(神戸市兵庫区)

ただ実際には、完成後も大砲は据えられないまま役目を終えた。理由は不明という。

三菱重工施設・電気動力グループの宮城大作グループ長によると、一帯は「少し掘れば水が湧く軟弱な砂地」。推定3000トンの石材の重みを支えるため築造時、長さ2.7~5.4メートルの木杭(きぐい)を1000本以上、砂層の下の岩盤まで打ち込んだとみられる。1995年の阪神大震災では石材にひびや割れが生じたが、塔全体は7センチ傾いただけで耐え、当時の技術力を示した。

今回の大修理では石造の外壁は部分補修にとどめる一方、傷みの深刻な木造の内部はすべて解体修理した。昭和初期に取り付けられた鉄骨の屋根を一部開けて部材を搬出入したが、塔の内部は狭く、どう足場を組んで部材を取り回すか苦心したという。佐々木さんは「ボトルシップを組む感覚だった」と振り返る。

関係者が皆「見たことがない」と驚いたのが、柱や梁の固定などに使われていた巨大な鍛造の鉄金具だった。複雑な形状で鍛造では同じものが作れず、削り出して複製した。「刀鍛冶や鉄砲鍛冶の技術を駆使して作ったのでは」。今回の大修理を担当した建築研究協会(京都市)の伊藤誠一郎さんはこう語る。

■巧みな工程管理

石堡塔の築造は、大坂町奉行を中心に幕府を挙げて進められ、わずか1年半で竣工した。「すぐに調達できるような石材や金具ではない。膨大な数の工程を巧みに管理し、同時並行で取り組んだはずだ」。伊藤さんらは舌を巻く。

 神戸造船所はJR和田岬駅下車、徒歩約3分。砲台は毎月第2木曜に見学できる。事前申し込みが必要。受付窓口は三菱重工のグループ会社リョーイン((電)078・672・4820)

神戸造船所はJR和田岬駅下車、徒歩約3分。砲台は毎月第2木曜に見学できる。事前申し込みが必要。受付窓口は三菱重工のグループ会社リョーイン((電)078・672・4820)

このタイプの石塔は19世紀前半、英国など各国で盛んに築かれた。ただし当時の大砲は撃つと大量の黒煙を吐くため、塔の屋上に据え付けた。和田岬砲台は2階にも砲座があるが、このような閉鎖空間では砲煙と轟音(ごうおん)が充満して、兵がとても耐え切れなかったとみられる。オランダの書物を参照して設計した際、解釈を誤ったとの説が出ている。

現在、周囲には海上自衛隊の潜水艦関連の工場が立ち並び、見学時に石堡塔の外観の撮影は禁じられている。ついに火を噴くことがなかった砲台越しに、潜水艦の黒い船体が浮かんでいるのが見えた。

文 編集委員 竹内義治

写真 伊藤航

<より道> 守りの石垣、今は護岸

外国船の相次ぐ来航を受け、江戸幕府は1853年(嘉永6年)以降、東京湾岸の品川などに相次ぎ砲台(台場)群を築いた。1860年代になると大阪湾の防備を急ぎ、湾北岸4カ所に石堡塔を築造した。和田岬砲台はその1つだ。

明石海峡大橋のたもとに残る「明石藩舞子台場跡」(神戸市垂水区)

明石海峡大橋のたもとに残る「明石藩舞子台場跡」(神戸市垂水区)

「当時は尊皇攘夷派と朝廷の力が強まり、政局の舞台が江戸から京や大坂へ移った時期だった」。神戸市教育委員会文化財課の高久智広さんはこう指摘し、「衰えつつあった幕府の武威を示し、『幕府こそ天皇守護の主体』とアピールするために、京のお膝元である大阪湾に最新の軍事施設を築いたのでは」と話す。

ただ石堡塔は4つとも、完成はしたものの大砲を据えた記録は見当たらないという。和田岬のほか、兵庫県西宮市にも現存する。御前浜公園にある国史跡、西宮砲台だ。こちらは内部は焼失し、石造の外壁のみ残る。

幕府は和歌山、徳島、明石の各藩にも命じて紀淡、明石両海峡に何カ所も台場を築かせた。その1つ、明石藩舞子台場跡(神戸市、国史跡)が明石海峡大橋のたもとに残る。W字形の平面形で東西約70メートル。高さ約10メートルの石垣を巡らせていたとみられ、今は一部が海辺の護岸となっている。

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