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もっと関西 維新の元勲 癒やした庭 無鄰菴(時の回廊)
京都市

2017/8/31 17:00
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 京都・東山山麓の南禅寺界隈(かいわい)(京都市左京区)に、庭園が評判の元別荘が15ほど集まる。いずれも、山麓の景観と流水を楽しむつくりで、明治から昭和初期にかけて政財界人が設けた。その中で唯一、一般公開されているのが、明治の元勲、山県有朋の別荘だった無鄰菴(むりんあん)だ。

■疏水生かした作庭

七代目小川治兵衛が山県有朋の構想に従って作庭した

七代目小川治兵衛が山県有朋の構想に従って作庭した

 日清戦争開戦の1894年から約2年かけて、山県がいち早く構えた。敷地は東西に長い三角形(面積約3100平方メートル)。その西部に木造2階建て母屋と、れんが造りの2階建て洋館や茶室が立つ。

 庭園は東山を借景にし、近くの琵琶湖疏水(そすい)から引いた水を3段の滝で落とした後、庭園を貫くように流す。流路は湾曲させたり、池のような幅の広い部分を設けたりして、野趣のある景観をつくり出す。

 樹木や庭石は有朋が自ら選び、作庭家の七代目小川治兵衛(通称・植治(うえじ))が有朋の構想に従って造園したと伝わる。

 現在は京都市から委託を受けた植彌(うえや)加藤造園が管理する。同社の加藤友規社長は「もの静かな露地風の庭が主流だった時代に、開放的な庭園を目指した点が斬新だった」と話す。

 具体的には、池ではなく流路を築いて水の流れを楽しめるようにし、苔(こけ)の代わりに芝を植えた。こうした作庭は「近代日本庭園の先駆け」とされ、以後造られる日本庭園に大きな影響を与えた。

日露戦争前、洋館2階の一室で有朋らによる会議が開かれたとされる

日露戦争前、洋館2階の一室で有朋らによる会議が開かれたとされる

 植治にとって無鄰菴は飛躍の足がかりになった。作庭家として名が高まり、平安神宮の庭園や界隈に新設される別荘の庭を任された。野村財閥の創始者、野村徳七の「碧雲(へきうん)荘」、現大阪商工会議所会頭などを務めた稲畑勝太郎の「何有(かいう)荘」、侯爵の細川護立(もりたつ)の「怡(い)園」などがその作だ。

 別荘が築かれた背景には、明治維新後の社会変革がある。一帯の土地は南禅寺の所有だったが、明治政府が上知令で没収し、民間に払い下げた。

 琵琶湖疏水の開削も別荘地開発の契機になった。京都府知事は当初、疏水に水車を設け、この動力を用いる工業地帯を検討していたが、水車から水力発電所に計画変更。付近に工業地帯をつくる必要がなくなり、一帯の風致保存と宅地化が決まった経緯がある。

■借景の眺望配慮

 元別荘の多くは現在、所有者が企業や財団に変わったが、開設当初の面持ちを維持して迎賓施設などに使われている。

 無鄰菴は1941年、京都市が山県家から譲り受けた。植彌加藤造園は管理の基本に「有朋の作庭思想」を挙げる。借景の東山の眺望を楽しめるよう周囲の電柱などは樹木で遮り、意図せずに生えた野花は花が咲き終わった後に刈る。有朋は自然に咲いた野花も愛でたという。

 同社は今年度から、無鄰菴で日本庭園の育成管理や植治に関する連続講座などを始めた。来場者は現在、年約5万5千人というが、より深く楽しんでもらおうという試みだ。

文 編集委員 小橋弘之

写真 大岡敦

 《交通・ガイド》地下鉄東西線蹴上駅から徒歩約7分。12月29~31日の間を除き開場。入場料(小学生以上)は410円。
 《見どころ》洋館では1903年に、山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎が集まり、朝鮮半島や中国東北部などを巡って対ロシア外交方針を検討した「無鄰菴会議」が開かれたとされる。

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