湖が育む 路地の温もり 沖島の「ホンミチ」(未来への百景)
滋賀県近江八幡市

2015/9/1 6:00
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琵琶湖の南東に位置し、沖合約1.5キロに浮かぶ沖島。周囲約6.8キロと琵琶湖最大にして国内の淡水湖で人が暮らす唯一の島だ。約300人の島民が密集する島南部には港から立ち並ぶ家屋と家屋の間に幅1~2メートルの細い道が約650メートル伸びる。「ホンミチ」と呼ばれる生活道路だ。

家々が連なる島の生活道路「ホンミチ」を夏祭りで帰省した子供たちが駆け抜ける

家々が連なる島の生活道路「ホンミチ」を夏祭りで帰省した子供たちが駆け抜ける

向かいの家まで大股で1歩。平地が少なく、家屋を建てられる土地が限られた沖島の地形がホンミチを生んだ。「しょうゆ貸して」「ようけ作ったし、これ食べへん?」。日用品の融通やお裾分けは当たり前だ。「島の人は皆、家族みたいなもんや」とおきしま資料館の管理人、小川正芳さん(86)はいう。

沖島を見守る西福寺の住職、茶谷文雄さん(67)は「昔は人をかきわけてホンミチを歩いたもんや」と振り返る。「伝統的な家屋、助け合い生活する姿。これこそ古き良き日本の原風景」と誇る。

ただ島の人口減少と高齢化は深刻だ。現在島に住むのは60年前のほぼ3分の1で、65歳以上が4割を超え、島内に暮らす小学生は3人のみ。2013年7月「離島振興対策実施地域」に指定され、島の伝統や自然を守るための活性化に必要な資金は国などから補助金が出るようになった。

「何もせんかったら島に誰もいなくなってしまう」。危機感を募らせる島の喫茶店「いっぷくどう」の店主、小川ゆかりさんは補助金活用の第1弾として島を1周する「もんてクルーズ」を企画。「もんて」は地元の方言で「戻って」「帰って」などの意味を持つ。クルーズは自治会の協力を得て操業していない漁船を活用、22日から運航を始めた。10月末まで土日に運航し、自らも魅力を伝えるガイドを務める。

15日の沖島の夏祭りには島を離れた若い世代が子連れで帰省した。昔のように子供がホンミチを足音を立てて駆け回り、家の中からも楽しそうな笑い声が路地に漏れ、高齢の島民は目を細めた。

兵庫県加古川市から沖島のホンミチ沿いの祖母の家に家族で訪れた多田美穂さん(38)。祖母、母、自分が見たホンミチの暮らし。1歳の長男にも「都会では見られない景色や人の温かみを感じてくれたら」と思う。

これからも毎年、夏祭りにあわせて帰省する予定という。ホンミチが描く景色とコミュニティー。「子供たちの世代にも残ってほしい」と多田さんは願いを込める。

文 川崎航

写真 三村幸作

<取材手帳から> 沖島に本格的に人が住むようになったのは保元・平治の乱(1156年~)で平家に敗れた7人の源氏の落ち武者が山裾を切り開き、漁業を始めたのがきっかけとされる。江戸時代初期に港が完成して最盛期には島民の9割近く、現在も6割は漁師で、アユなど琵琶湖の漁業のほぼ半数の水揚げ量を誇る。
 島の北側は石垣に適した石が採れたため、かつては石材業も盛んだった。明治維新による東京遷都で衰退した京都を復興させるために主に産業用に琵琶湖の水を引き込んだ「琵琶湖疏水」のトンネルやインクラインの敷石などの8割は沖島の石材が利用されている。

<カメラマン余話> 幅約2メートルの小路は思わずシャッターを押したくなる懐かしい雰囲気。道を塞がぬよう隅から撮影していると近くの玄関の扉が開いた。何か邪魔でもしたかと思いきや聞こえたのは「取材も大変やね。せっかく来たんやし、ゆっくりしてきな」。優しい声にほっとした。
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