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奈良期のサウナ 民癒やす(時の回廊)

法華寺の「からふろ」 奈良市

奈良市の平城宮跡近くにあり、奈良時代に創建された尼寺・法華寺には「からふろ」と呼ばれる蒸し風呂がある。寺とは無縁と思われる施設を造ったのは、同寺の創建を発願した聖武天皇の妻、光明皇后だ。現在の建物の再建から、今年でちょうど250年になる。

最初に造られたのは750年ごろといわれる。内部には、湯を沸かす2つの大きな釜が置かれたスペースと、蒸気を浴びる2つの浴室があり、6人ずつ入ることができる。浴室の床は、すのこ状になっており、床下に湯の沸いた釜を入れ、蒸気を浴びる仕組みだ。

薬草湯で蒸気

光明皇后は、奈良時代の権力者、藤原不比等の三女で、乙巳(いっし)の変や、その後の大化の改新で功績のあった藤原鎌足が祖父。初の皇室外出身の皇后だった。皇后は平城宮に隣接する広大な不比等の屋敷を引き継ぎ、皇后宮を設けたが、後にそこに法華寺を建立した。東大寺(奈良市)が全国の国分寺の頂点である総国分寺なのに対し、法華寺は総国分尼寺と極めて格が高い。そのため先代まで、皇室ゆかりの女性が住職をつとめていた。

光明皇后は、薬草を栽培して病人の治療や投薬をした施薬院(せやくいん)や、貧困層や孤児を救う悲田院(ひでいん)を造った。からふろも社会福祉の一環とみられ、薬草を煮出した湯から出る蒸気で病人を癒やした。

「施薬院や悲田院は存在した場所も特定されていない」(法華寺の渡辺英世執事)が、からふろは場所や建物は変わったものの、現在も残っている。今でも光明皇后の命日に当たる6月7日前後に、寺の信者ら50人ほどが入浴しており、古代の社会福祉を垣間見ることができる。

渡辺執事によると、水蒸気などで木材が傷むため度々造り替えられ、現在の建物は江戸時代の1766年に建てられた。

皇后が福祉事業

なぜ光明皇后は社会福祉に熱心だったのか。元奈良国立博物館学芸部長の西山厚・帝塚山大文学部教授は「子供を亡くしたことが(最初の社会福祉事業の)施薬院を造るきっかけになった」と見る。聖武天皇との間に1男1女を設けたが、男子は1歳になる前に病で亡くなった。施薬院を設けたのはその2年後で、残った女子が後の孝謙天皇だ。「子を亡くした母親の気持ちは古代も今も同じ。その悲しみが皇后を社会福祉へ駆り立てた」と推測する。

一方、東洋・日本の仏教美術史が専門で、法華寺の歴史に詳しい富山大芸術文化学部の三宮千佳講師は、仏教の根本思想の一つである利他行(りたぎょう)に注目し「信仰の一環だった」と言う。「成仏するには他人への貢献が必要とする利他行を皇后は実践した」と見る。聖武天皇とともに奈良の大仏建立に尽力するなど仏教を深く信仰していたからだ。

民間出身だった光明皇后は、皇室出身者より庶民を見る機会は多かったはず。「その経歴が庶民に目を向けさせた可能性がある」と三宮講師は話している。

文 奈良支局長 松田隆

写真 大岡敦

 《交通・拝観》近鉄奈良駅から奈良交通バス西大寺駅行き(航空自衛隊経由)で法華寺下車、徒歩3分。拝観は午前9時から午後5時まで。拝観料500円。からふろは外観のみ公開。
 《本尊》国宝の十一面観音像で、光明皇后が蓮池を歩いた姿を写したと伝えられている。蓮の花と葉を交互にした光背や少し浮いた右足が特徴だ。

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