2019年9月20日(金)

観音像守った西洋の手 フェノロサと縁ある聖林寺(時の回廊)
奈良県桜井市

2015/5/15 6:00
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油と思われる液体の被害や、故意とみられる仏像の破損。寺社に受難の時代だ。かつて文化財保護といえば、いたずらでなく、むしろ火災への備えに重点が置かれた。約130年前、ある仏像がいざというとき避難できるよう、可動式の異色の厨子(ずし)を寄進した人がいた。米国の東洋美術史家、フェノロサだ。

「ここから一望できる盆地にどれほど素封家がいるか知らないが、とうていこの仏像一体におよぶまい」

■国宝の第1弾に

奈良県桜井市の聖林寺。秘仏の禁を解かせて十一面観音菩薩(ぼさつ)像を見上げたフェノロサは、そう語ったという。像は奈良時代の作。木心乾漆というこの時代固有の製法で造られ、2メートルを超す高さながら威圧感はなく、むしろ気品をたたえている。1951年、文化財保護法により第1弾指定された国宝の1つだ。無論、戦前の法律でも国宝に指定されていた。

国宝の十一面観音

国宝の十一面観音

もともと聖林寺にでなく、奈良有数の社格を誇る大神(おおみわ)神社(桜井市)の神宮寺であった大御輪寺(現在は廃寺)に、本尊として安置されていた。神社に仏像の取り合わせは違和感もあるが、全国に根を下ろしていた神仏習合思想により、幕末のころまで1つの境内に神社と寺が同居するのは珍しいことではなかった。

フェノロサを魅了した仏像は思想家・和辻哲郎の心もとらえた。奈良の仏教美術を探訪した「古寺巡礼」(岩波文庫)で、和辻はこの仏像を矯めつすがめつ鑑賞し、約10ページを割いて称賛している。

ただ、仏像の来歴については誤認がある。「この気高い観音」は神仏分離の際に放棄され「埃(ほこり)にまみれて雑草のなかに横たわっていた」。通りかかった聖林寺の住職が見かねて引き取った、と紹介。しかし、実際には大御輪寺と聖林寺の間で正式に覚書が交わされていた。

来る廃仏毀釈の波を予想してか「『御一新(明治維新)につき当分の間かくまう』と約束しています」と倉本明佳住職が文面のコピーを見せてくれた。慶応4年(1868年)の日付がある。

■可動式の厨子

フェノロサが見たのは聖林寺に秘仏としてかくまわれていたときだ。像をいたわる気持ちから、可動式の厨子を造らせて寄進した。

扉の下から平行して突き出た2本の石製軌道。この上を台車が伝う仕組み

扉の下から平行して突き出た2本の石製軌道。この上を台車が伝う仕組み

厨子は堂に建て付けられているように見せて、実は床下に台車が仕込まれている。緊急時にはマッチ箱を引き出すように石製の軌道を伝い、像背面の扉の向こうに避難させるよう設計されていた。幸い、一度も使われることなく役目を終えた。寺が1959年に鉄筋コンクリートの堂を造り、そこに像を安置したためだ。

「先々代住職には『背面の扉はもう開けるな』と言われた」という。既にもぬけの殻となった以上、かえって防犯面で不用心になりかねないためだ。このため、現在は床板を敷き詰め、背面の壁にかんぬきを下ろすなど、事実上封印している。

文化財保護思想からフェノロサが寄進した厨子。今日の寺社の受難をどう見ているだろう。

文 編集委員 岡松卓也

写真 浦田晃之介

小高い山裾にある聖林寺からは奈良盆地や三輪山などが見える

小高い山裾にある聖林寺からは奈良盆地や三輪山などが見える

<より道>奈良盆地、本堂から一望 聖林寺は奈良盆地の東南端、談山神社に向かう坂道のとばくちにある。小高い山裾にあるため、本堂の縁側から望む景色は見応えに富む。

山々が屏風のように幾重にも折り重なりつつ、奈良盆地の東端に連なるさまが手に取るように分かる。

ヤマトタケルノミコトが望郷の念を込めてうたったとされる「たたなづく青垣 山ごもれる やまとしうるはし」の「青垣」とは、こうした一連の山々だったにちがいない。

「手前にはなで肩の柔らかな稜線(りょうせん)を描く三輪山。遠くは新春の山焼きで有名な奈良の若草山。ご覧になれますか、山肌の斜面が少し茶色っぽく見える一角です」(倉本明佳住職)。

 JR・近鉄桜井駅からタクシーで約10分。

JR・近鉄桜井駅からタクシーで約10分。

この青垣の山裾を縫うように貫くのが山の辺の道。歴史愛好家が、道沿いに多くの古墳や石上神宮、長岳寺などを訪ねながら往来している情景に出合う。

あいにく、三輪山をご神体とする大神神社は建造物などに遮られて見えない。このため、十一面観音像を本尊としていた旧・大御輪寺のあった場所も目視できないが、その近さは実感できる。

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