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都市開発 甘い予測で頓挫 大阪港 街づくりの夢(3)
軌跡

2016/11/17 6:00
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 大阪ベイエリアの開発構想が最も熱を帯びたのは1980年代だった。89年の大阪市制100年記念事業として、83年に検討が始まり、埋め立て地に21世紀を展望する新しい都市をつくる「テクノポート」構想が打ち出された。「埋め立て未利用地の活用、新たな都心づくりという2つの構想が合致した」とされる。

 現在の咲洲コスモスクエア地区と舞洲、夢洲の計775ヘクタールの土地に国際交易・技術・情報などのサービス拠点や文化・レクリエーションゾーン、住宅などを整備していくプランだった。完成目標は2010年。居住人口6万人、昼間人口20万人の臨海新都心である。

 構想に沿ってアジアトレードセンター(ATC)やワールドトレードセンター(WTC)ビルなどが建設された。橋、道路などインフラ整備にも多額の資金がつぎ込まれた。しかし、バブル経済に浮かれた夢は長続きしなかった。甘い予測と安易な第三セクター方式の採用などで事業が次々に破綻。ベイエリア開発は大阪の負の遺産の象徴のようにみられるようになった。

 09年に出された夢洲・咲洲の活性化策を考える報告書には、日本の経済社会全体の変化などテクノポート大阪構想失敗の理由・背景が記されている。

 技術の進歩で構想自体が時代遅れになったのが大阪テレポートだ。衛星通信と地上通信を組み合わせ、国内外の都市を結ぶ情報通信の拠点になり、情報産業立地の呼び水になるはずだったが、高速大容量の通信網やインターネットの普及などで機能そのものが陳腐化し、施設は撤去された。

 「テクノポート大阪」は09年の報告書を最後に大阪市の施策から消え、「構想としては終わった」(港湾局)。地下鉄の計画路線である北港テクノポート線にだけ名が残っている。

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