2019年7月17日(水)

山里に息づく太古の舞 国栖奏(時の回廊)
奈良県吉野町

2017/2/17 6:00
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雪化粧した渓谷に鈴の音が吸い込まれた。奈良県吉野町南国栖(くず)には由緒が日本書紀に遡るという歌舞「国栖奏(くずそう)」が伝わり、浄見原(きよみはら)神社で毎年旧正月14日に奉納されている。今年は2月10日、厳かに執り行われた。

■日本書紀に登場

笛と太鼓の音色に合わせて2人の翁が優雅に舞う

笛と太鼓の音色に合わせて2人の翁が優雅に舞う

浄見原神社は吉野川を見下ろす崖の上に鎮座し、天武天皇を祭る。10日昼、雪が舞う中、神職を先頭に狩衣と烏帽子をまとった男性10人が神楽殿への細い石段を上った。歌舞を納める「翁(おきな)」たちだ。神前には山菓(クリ)、醴酒(こざけ、一夜酒)、腹赤魚(ウグイ)、土毛(くにつもの、セリ)、毛瀰(もみ、アカガエル)が供えてある。

祝詞を奏上し、「世にいでば 腹赤の魚の片割れも 国栖の翁が 淵にすむ月」などの歌を朗々と唱和。「正月」「延栄(えんえい)」の掛け声を合図に笛や鼓が奏され、翁が2人、鈴と榊(さかき)を手に舞った。最後に翁たちは右手を口にあて、上体を大きく反らした。「笑の古風」と呼ばれる所作だ。

書紀によると応神天皇が吉野に行幸した際「国栖人が酒と歌を奉じ、歌が終わると口を掌でたたいて笑った」とある。「当時、貴人の前で笑う姿は珍しかったのだろう。書紀が『上古の遺風』と記すほどだ」と吉野町教育委員会の池田淳主幹は説明する。「書紀には『国栖は峯高く谷深く道険しく、都から遠くはないが訪れるのはまれ』とも書いてある。神仙が住む世界の住民と感じていたのでは」

壬申の乱(672年)では国栖の人々が大海人皇子(天武天皇)を助けて活躍した伝承があり、謡曲「国栖」の題材にもなっている。その功績で国栖奏が宮廷儀礼に組み込まれたとされ、延喜式(10世紀)などには大嘗会(だいじょうえ)や諸節会(せちえ)などのおりには国栖から参勤して演奏するよう規定している。

天武天皇は国栖奏以外にも隼人舞や久米舞など地方に伝わる多くの風俗歌舞を宮廷儀礼に取り込んだ。各地の氏族にそれぞれの芸能を演じさせて忠誠の証しとした、と解釈されている。

■保存会で次代へ

石段を上った先にたたずむ浄見原神社の社殿

石段を上った先にたたずむ浄見原神社の社殿

宮廷では次第に楽人らが代演するようになり参勤は途絶。一方地元では浄見原神社を建て神楽舞として奉納するようになった。現在演じられているのは1926年、宮内省の楽師の指導で雅楽調に整えたものだ。

かつては翁を務めるのは翁筋と呼ばれる家の直系の嫡子に限った。約40年前、県無形民俗文化財に指定されたのを機に国栖奏保存会を発足、参加者が広がった。現在の会員は町職員や自営業者など10人。高校生の時から演じてきた松田利宏会長(73歳)が最年長で、最若手は30代だ。

毎年4月には橿原神宮(橿原市)でも奏上している。7年前、平城宮跡(奈良市)で催された平城遷都1300年記念祝典では天皇、皇后両陛下の前で演じる機会を得た。「軽々しく披露するものではない。天皇を祭る神社か陛下の前でないと演じないのが原則」。松田さんの言葉に、代を重ねて引き継いできた誇りと愛着がにじんだ。

文 大阪・文化担当 竹内義治

写真 淡嶋健人

《交通・ガイド》浄見原神社へは近鉄大和上市駅からタクシーで約20分。
 国栖奏は同神社で毎年旧正月14日に奏上されるほか、橿原神宮(奈良県橿原市)で毎年4月3日に行われる神武天皇祭でも奉納される。その歴史などは「増補吉野町史」(2004年、吉野町)で詳述されている。吉野町中央公民館の図書室などで閲覧できる。

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