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もっと関西 「怪僧」道鏡 素顔に迫る 由義寺跡(時の回廊)

大阪府八尾市

大阪府八尾市でこのほど、8世紀の大量の瓦と塔の基壇跡が見つかった。同市教育委員会は「女帝・称徳(しょうとく)天皇(孝謙〈こうけん〉上皇)に重用された僧、道鏡が関わった由義(弓削〈ゆげ〉)寺の跡」と発表。「天皇の位を狙った」と悪名高い"怪僧"の素顔に迫る手掛かりの発見に期待が高まる。

格式高い寺院か

由義寺の跡が見つかったのは、生駒山系が間近に迫る大阪平野の東縁にある東弓削遺跡。古代には奈良と河内を結ぶ主要交通路だった大和川に近く、今は大阪外環状線が傍らを走る。

発掘では東大寺や興福寺と同じ型で作られた瓦が出土した。約20メートル四方もある基壇跡には高さ60~70メートルの七重塔があったとされ、市教委は平城京の官寺造営組織が手がけたと推察する。同文化財課の藤井淳弘係長は「都以外では珍しい丁寧な土の付き固め方(版築〈はんちく〉)だ」と話す。

道鏡は一帯を本拠地とした弓削氏の出身。女帝の病を治したのをきっかけに信任されて異例の出世を遂げ、766年には「法王」となって天皇と並ぶ待遇を受けるに至った。

未婚だった称徳天皇は後継者選びに難渋し、政変も起きた。父、聖武天皇が目指した仏教による国造りを進めたい思いもあった。瀧浪貞子・京都女子大名誉教授は「道鏡を宗教界のシンボルとし、天皇を権威づけ後見させる"共治"体制を目指した」と説明する。

その路線が行き着いたのが、有名な九州・宇佐(うさ)八幡宮の神託事件(769年)だった。「道鏡を天皇にせよ」との神のお告げが都に伝えられたものの、和気清麻呂(わけのきよまろ)が現地で確認して偽りだとされた。事件の真相については諸説あるが、かつて言われた「首謀者は道鏡」の説には今では否定的な見方も多い。

事件後すぐに称徳天皇は弓削に造営中だった由義宮(ゆげのみや)へ赴き「ここを西京(にしのきょう)とする」と宣言した。「事件でダメージを受けた道鏡に配慮し、由義宮は天皇の都・平城京に対する法王の都と位置づけて、法皇と天皇は同列だとアピールした」と瀧浪名誉教授は唱える。

藤井係長は「発掘では摂津で作られた瓦も出土した。広域から建材をかき集めたようだ。行幸に合わせて由義寺の塔も完成を急がせたのでは」と語る。

まじめな人物像

そもそも道鏡はどれほどの職権を握ったのか。研究者の見方は「僧だけでなく官僚の最上位でもあった」「道鏡が政務に関わった形跡はない。天皇のブレーンだった吉備真備(きびのまきび)らが仕切った」など様々だ。

瀧浪名誉教授は「大した業績がなく野心や個性がみえない。まじめで天皇の言うがままに役割を演じた」と分析する。天皇崩御後に左遷された下野(しもつけ)では、栄養食や丈夫な和紙の作り方を人々に教えた好人物として語り継がれているという。

市教委は伽藍(がらん)配置などの解明に向け今年度も引き続き遺跡を発掘する。藤井係長は「由義と書いた瓦や木簡などが出土するかもしれない」と期待している。

大阪・文化担当 竹内義治

 《交通》発掘現場はJR関西本線の志紀駅から徒歩約10分。ただし基壇の遺構は埋め戻されており、現場はフェンスで囲われて立ち入ることはできない。
 《参考図書》「敗者の日本史2 奈良朝の政変と道鏡」(瀧浪貞子著、吉川弘文館)や「ミネルヴァ日本評伝選 孝謙・称徳天皇」(勝浦令子、ミネルヴァ書房)などが詳しい。

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