産業立国 歩み見つめる(時の回廊)
旧尼崎紡績本社 兵庫県尼崎市

2016/3/18 6:00
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大阪市から国道43号を西に進み、左門殿(さもんど)川を越えて兵庫県尼崎市に入ると、れんが造りのしゃれた2階建ての洋館が見えてくる。1900年(明治33年)に建てられた旧尼崎紡績(現ユニチカ)の本社事務所だ。

兵庫県尼崎市内で最も古い洋風建築だ

兵庫県尼崎市内で最も古い洋風建築だ

■近代化の象徴

1889年創業の同社がこの地に本社を構えたのは坂上(さかじょう)綿と呼ばれる上質の綿花の産地だったためだ。廃藩置県で職を失った旧尼崎藩士の窮乏を救う狙いもあった。隣接してれんが造りの工場棟が並ぶ様子は日本の近代化の象徴だった。

尼崎紡績は他社に先駆け高級糸である中糸の生産に着手。1918年には摂津紡績と合併、大日本紡績に社名を変え業容を拡大していく。日本の三大紡績の一つと称され、最盛期には尼崎市に20ヘクタール超の工場を構えた。敷地は甲子園球場15個分に相当、従業員宿舎や小学校もあった。太平洋戦争で大半が焼失したが本社事務所だけは戦禍を免れた。

上下に開閉するアーチ型窓が特徴の建物は、市内に現存する最も古い洋風建築だ。「茂庄五郎という当時関西で工場建築を多く手掛けた建築家が設計した」(ユニチカIR広報グループの横山恵さん)。れんがは英国からの輸入品と伝えられる。2007年、経済産業省の近代化産業遺産に認定。現在はユニチカ記念館として創業以来の資料などを展示している。

今年度の来場者は2000人を超え前年度の4倍超に増えた。理由はNHKの連続テレビ小説「あさが来た」のヒット。主人公のモデル、広岡浅子の夫、信五郎(ドラマでは白岡新次郎)が尼崎紡績初代社長を務めた。2階展示室の歴代社長の写真を見ると、左端に洋装に白いひげをたくわえた信五郎の姿がある。

意外にも「ユニチカの歴史で信五郎のことが語られることはあまりない」(横山さん)。信五郎の社長在任は2年間のみ。現在まで続く会社の基礎を作ったのは、技師でもあった4代目社長の菊池恭三だからだ。

数少ない信五郎ゆかりの資料が「尼崎紡績会社設立御願」だ。普段は閉じて展示されている表紙を開いて見せてもらうと、設立発起人の名前の中に「廣岡信五郎」の署名を見つけた。細身の流麗な文字で、ドラマの中のような趣味人であったことがうかがえる。

明治時代の電話架設申請書が残っている

明治時代の電話架設申請書が残っている

■電話線を架設

もう一つ目を引くのが「電話架設願書」。尼崎市の市外局番が大阪市と同じ「06」になった由来の文書だ。1893年に大阪に電話交換局が開設されたが、神戸までつながるのはまだ先の話。そこで尼崎紡績は、大阪市西部まで約13キロメートルに電柱を建てて電話線を架設、交換局に献納することで電話を引いたのだ。

1974年の風吹ジュン(ドラマで新次郎の母役)以来の歴代マスコットガールのポスターや、女子バレーボール「東洋の魔女」のユニホームなども展示。周辺は住宅地となり往年の面影はほとんどないが、コンパクトな建物に明治から昭和の歴史が詰まっている。

文 大阪・文化担当 小国由美子

写真 伊藤航

《交通》阪神本線・なんば線大物(だいもつ)駅から徒歩7分。開館は水曜日の午前10時~正午、午後1時~3時。入館無料。臨時休館することがあるので、事前に電話で確認するとよい。
《大物川緑地》大物駅からの道沿いに大物川を埋め立てた公園がある。春は桜を眺めながらの散策も楽しめる。
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