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もっと関西 天下人魅了 華道育む寺 六角堂(時の回廊)
京都市中京区

2017/6/16 6:00
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1594年、前田利家邸を訪れた天下人、豊臣秀吉は、見えを切ったように幹や枝を広げるいけばなに目を奪われた。「池坊一代の出来物」と語り草になるこの「大砂物(おおすなもの)」を指揮したのは六角堂の花の僧、池坊専好だ。

■開基は聖徳太子

市街地でビルに囲まれた六角堂(京都市中京区)

市街地でビルに囲まれた六角堂(京都市中京区)

六角堂(京都市中京区)は京都有数の目抜き通り、烏丸通が六角通と交わる一角にある。境内は子供連れの主婦や外国人観光客などが入れ代わり立ち代わり訪れる。拝観料もないため近寄り難さは薄く、ビルの谷間のオアシスのようだ。

正式には「紫雲山 頂法寺」という。親しみやすさと裏腹に、寺にまつわる由緒や故事が豪華だ。開基が聖徳太子。浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が100日間参籠した――。歴史の教科書に登場する人物が次々出てくる。日本の美意識を代表するいけばなの発祥地であるという。

6世紀の終わり、池で沐浴(もくよく)した聖徳太子が、護持仏の如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)像を置いたところ動かなくなった。この像を本尊とするお堂を建てたというのが縁起だ。歴代住職は池のほとりに住坊を構えたので「池坊」と呼ばれ、朝夕、仏前に花を供えた。

長年地元で親しまれている六角堂(京都市中京区)

長年地元で親しまれている六角堂(京都市中京区)

華道との関連が文献に現れるのは室町時代の1462年。東福寺の禅僧が残した日記に「六角堂の僧、池坊専慶が武士に招かれ挿した花が好評だった」との記述があるという。

いけばなの起源は仏前に供える花。もともと宗教的行為だったのが、床の間に飾り客をもてなすものへと、芸術性に重心が移る。専慶の後継者で16世紀前半の専応は宮中や門跡寺院などで盛んに花を立てた。「華之上手(はなのじょうず)」とうたわれ、理論を花伝書「池坊専応口伝」にまとめる。その後の専好ら、六角堂はいけばなの名手を輩出する拠点として名を上げていく。茶の湯が大成する16世紀後半に、華道も大きく発展したようだ。

ただ、仏前に供える営みなら、いけばなを育む素養や背景は他の寺院にも広くあったはず。六角堂に異才が相次いだのはなぜか。

■15回以上焼失

「ここが古くからの都心部で、自然からむしろ隔離されていたからでは」とみるのは池坊中央研究所の細川武稔主任研究員。限られた草木で花器に大自然を再現する感性や想像力は「草花に恵まれた境遇より、かえって雑踏でこそ磨かれ研ぎ澄まされやすい」。また「京都は盆地。周縁部の傾斜地は草花の調達に事欠かないのもプラスになった」という。

創建以来、六角堂は15回以上焼失した。都心の立地は火災にさらされやすいのが泣きどころ。再建を繰り返したため、古さに価値を置く文化財建築としては胸を張りにくい面もあろう。ただ、それと引き換えにいけばなを育てる境遇を得た。六角堂は大きな文化的発信力を持っているといえる。

現在は単立の宗派だが、以前は天台宗で比叡山延暦寺の子院だった。華道家元池坊の家元が住職を兼ねることになっている。

文 編集委員 岡松卓也

写真 大岡敦

《交通》京都市営地下鉄の烏丸御池駅から徒歩3分。
《話題》祇園祭の「くじ取り式」は京都市議会議場で開かれるが、かつては六角堂がその舞台だった。町衆が寄り合い一大事を取り決める場だったことが分かる。池坊専好を描いた映画「花戦さ」が現在公開中で、狂言師の野村萬斎さんが愚直な主人公を好演している。

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