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平和の願い 子・孫へ

広島原爆の日 遺族代表「祖父の記憶 語り継ぐ」 被爆者代表「幸せ 当然ではない」

「あの日」と同じ澄み切った青空が広がった広島に6日、鎮魂の鐘が響いた。原爆の惨禍から72年。広島市の平和記念公園では亡くなった家族や友人を悼み、祈りがささげられた。「平和の大切さを次代に伝える」。被爆者は原爆の記憶をつなぎ、受け継ぐ若い世代たち。7月に国連で核兵器禁止条約が採択される中、日本政府に参加を求める声も上がった。

平和記念式典を終え、9カ月の長男を抱く安村さん(6日、平和記念公園)

原爆投下時刻の午前8時15分。平和記念公園内にある平和の鐘が鳴り、参列者が1分間の黙とうをささげた。

この日、遺族代表として、慰霊碑の前に立った広島市佐伯区の安村杏莉さん(29)は、昨年85歳で亡くなった祖父、森崎幸三さんに「平和の大切さを子供たちに伝え続けます」と誓った。

小学生のころ、学校の課題をまとめるため、祖父に被爆体験を尋ねた。爆心地から1.3キロの地点で被爆したという森崎さんは「自分は無傷だった」と繰り返し、多くを語ろうとしない。いつしか原爆に関わる話題は家族の間で避けられるようになった。

沈黙が破られたのは昨年12月。入院中の森崎さんが突然、安村さんの母に向かって被爆当時のことを語り始めた。「爆風でけがをした母の腕にはウジ虫がわき、腕を切断したが翌日に死んだ」「一面に横たわる遺体を踏みながら逃げるのはつらかった」――。

弱々しくかすれた声を振り絞るようにして明かされた、壮絶な体験。母から伝え聞いた安村さんは「遠ざけてきた原爆の記憶に向き合い、今伝えなければならないと感じたのだろう」。森崎さんはその2日後、息を引き取った。

祖父は昨年10月に生まれた初ひ孫となる安村さんの長男をとてもかわいがった。最期の言葉を「次代を担う私たちや、長男の世代へのメッセージ」と捉える。

平和記念式典に出席した面出さん(6日、平和記念公園)

広島市の被爆者代表、面出隆司さん(75)はこの日、慰霊碑に花輪を手向けた。「平和で、ささやかな幸せがあふれる毎日がどうか続きますように」。あの日をほうふつとさせる雲一つない青空の下で願った。

3歳のころ、爆心地から約4キロの道を牛車に乗って進んでいると、突然空が光った。「背中がひりひりと熱かった」。一緒にいた祖父、篤太郎さんに引っ張られ、近くの塀の下に。被爆は避けられなかったものの、間一髪で生き延びた。

原爆投下から20年たったある日、篤太郎さんの胸のあたりにはんてんが浮き上がり、皮膚が壊死(えし)。原爆症とみられる症状だった。篤太郎さんはみるみる衰弱し、その年に85歳で亡くなった。

原爆投下から72年たち、被爆した家族や友人らを多く見送った。「祖父のように自分も原爆症の症状が出るのでは」という不安もある。年々強くなるのは「原爆の苦しみは、何年たっても消えない」という思い。孫娘(17)ら若い世代には繰り返し説いている。「今の幸せは当たり前ではない。平和を一番大切に考えてほしい」

核禁止条約 参加を要求 被爆者7団体、首相に
 広島の被爆者7団体の代表らは6日、平和記念式典後に広島市のホテルで安倍晋三首相と面会し、日本が参加しなかった核兵器禁止条約について「署名を強く求める」と政策の転換を迫った。首相は「非核三原則を堅持し、核兵器廃絶の努力を続ける」とだけ述べ、被爆者には失望感が広がった。
 広島被爆者団体連絡会議の吉岡幸雄事務局長は「条約は核廃絶に道を開くものだが、日本は反対するという驚くべき態度を取った。怒りを込めて抗議する」と批判した。
 首相は面会後の記者会見で、条約には核保有国が参加していないと指摘。「保有国と非保有国との隔たりを深めてはならない。双方に働き掛けるわが国のアプローチとは異なる」と不参加の理由を説明した。

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