仏の笑み 民が守り手 石道寺の十一面観音立像(時の回廊)
滋賀県長浜市

2015/11/13 6:00
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滋賀県北部の長浜市は約130体の観音菩薩(ぼさつ)像が点在し、「観音の里」と呼ばれる。かつての巨大な宗教勢力の遺産が戦国の争乱を越えて守られ、村堂に受け継がれている。代表格の一つが国重要文化財である石道寺(しゃくどうじ)の十一面観音立像(りゅうぞう)だ。

■平安後期の造像

石道寺の十一面観音立像は優しく穏やかな表情を浮かべる

石道寺の十一面観音立像は優しく穏やかな表情を浮かべる

石道寺を訪ねると、川沿いに民家が連なる集落の奥にあった。小さな本堂に上がり厨子(ずし)を開いてもらう。真ん中の本尊、十一面観音立像はふっくらとしたほお、朱色の唇が印象的だ。右足の親指が上を向き、右膝がやや前に出て今にも歩き出しそうな気配がある。

井上靖は小説「星と祭」で「村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れていらっしゃるのではないか」と描写した。像高は173センチ。平安後期の11世紀につくられたとみられる。

厨子の外側に立つ多聞天と持国天の2体の像も国の重要文化財だ。鎌倉時代のものと考えられていたが、2001年の調査で玉眼(ぎょくがん)が後に加えられたものと分かり、十一面観音とほぼ同時期の造像とされた。

調査に参加した秀明文化財団の高梨純次参事は「仏像の表情は11世紀に大きく変化した。以前のいかつさが消え、目鼻口が顔の中央に集まり、優しく穏やかになる。石道寺の十一面観音立像は変化後の特徴を表している」と解説する。

石道寺は山中にあった境内が明治時代の山崩れで荒廃し、大正時代になって現在地に移された。それ以来、41世帯からなる地元の石道(いしみち)自治会が管理している。

厨子の左右に立つ持国天(左)と多聞天の立像

厨子の左右に立つ持国天(左)と多聞天の立像

湖北地域は7世紀には己高山(こだかみやま)を中心に仏教文化が根付いていた。8世紀に東大寺の荘園が越前国(現在の福井県)にでき、琵琶湖水運の中継地点として重視された。白山(石川、岐阜両県)の十一面観音信仰も入った。10世紀からは天台宗が勢力を強め、観音信仰を中心とする仏教文化圏がつくられた。石道寺の十一面観音立像はこの頃の天台宗の仏像に多いケヤキが使われている。

■5ツアーを用意

戦国時代に様々な争乱があった湖北には室町以前の建物は残っていない。寺が衰退した後、宗派を超えて仏像を守ったのは民衆だった。それは今も続いている。石道寺のある長浜市の旧木之本町地区に隣接する旧高月(たかつき)町地区には、31集落に25体の観音像がある。

長浜市と米原市がつくる北びわこふるさと観光公社は観音像を巡る5つのツアーを設定している。普段公開しない仏像も拝める。14年度は23回開催し、400人が参加した。3~4割は首都圏からの参加だった。高月観音の里歴史民俗資料館(長浜市)の佐々木悦也副参事は「ほとんどの仏像が寺院ではなく、村のお堂にある。ここでは人と仏のつながりをごく自然に感じることができる」という。

「観音さまと向き合っているだけで気持ちが静まってくる」。石道自治会の池田金夫会長は話す。多くの人々を引きつけるのは古(いにしえ)の仏像だけでなく、現代に生きる素朴な祈りの風景だ。

文 シニア・エディター 木下修臣

写真 三村幸作

 《交通・拝観》JR北陸線木ノ本駅からタクシーで10分。拝観は原則月曜を除く午前9時~午後4時。ただし11月は毎日可能。12月末から2月末までは積雪のため不可。拝観料300円。
 《東京で展覧会》長浜市と東京芸術大学は来年7~8月、同大学美術館(東京・台東)で2回目の観音像展覧会を開く。
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