荒野開いた宗教都市(時の回廊)
富田林興正寺別院 大阪府富田林市

2016/3/11 6:00
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時は戦国時代。台地上に広がる荒れ野を京都・興正寺(こうしょうじ)の門主、証秀が銭百貫文で買い上げて浄土真宗の道場を核とする町を開いた。現在の大阪府富田林市の寺内町(じないまち)だ。やがて町は水陸の交通の便を生かし、商業都市として栄えた。その面影を残す古い街並みの中心には今も富田林興正寺別院が立ち、1年半前に国重要文化財に指定された。

鼓楼から望んだ山門と鐘楼、寺内町の街並み

鼓楼から望んだ山門と鐘楼、寺内町の街並み

■近畿で最古級

寺内町は東西約400メートル、南北約350メートル。600ある民家のうち約250が伝統的な町家の姿をとどめ、大阪府で唯一の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている。

町の中央を走る城之門筋(じょうのもんすじ)には同寺の鐘楼と鼓楼(ころう)がそびえ、シンボルとなっている。鼓楼は非公開だが、華園勝文住職の許しを得て上がらせてもらった。急な階段をよじ登ると、楼上には現在も太鼓が据えてある。窓から眺めると、鈍色(にびいろ)に光る甍(いらか)の波と白壁が鮮やかなコントラストを織りなす。

本堂に入ると内陣の左右に配された金地の障壁画「松竹梅図」が目を引く。古木の枝がうねるように伸び、白梅が咲く。幕府御用絵師として江戸城などの障壁画を手掛けた狩野寿石の作だ。「戦時中、集団疎開した子供たちが寝泊まりした際に傷つけてしまった」と華園住職は苦笑いする。

重文指定に先立ち、大場修・京都府立大学教授らによる伽藍(がらん)の総合調査が実施された。本堂は寛永15年(1638年)建立と伝わり、近畿で最古級の真宗寺院という。柱や壁に残る改修の痕跡を調べた結果、当初はシンプルな構造だった内陣が徐々に拡張され、柱や長押(なげし)に金箔や極彩色の装飾が施されて極楽浄土を思わせる空間に様変わりした過程が解明された。大場教授は「真宗本堂の成立過程を知る貴重な資料」と話す。

狩野寿石が筆を振るった本堂の障壁画「松竹梅図」

狩野寿石が筆を振るった本堂の障壁画「松竹梅図」

■念願の修理へ道

山門は「伏見桃山城の門を、大坂にあった天満興正寺を経て移築した」とされていたが、記録を調べると19世紀に京都の興正寺から移されたと判明。「様式から見ると元は城門だった可能性が高いが、これより古い記録がなく確認できない」(大場教授)という。

本堂の壁などを見ると雨漏りによる劣化が痛々しい。「修理、修理でいつも頭を悩ませてきた。個人では限界がある」と語る華園住職。重文に指定され、修理に国の助成を受けられるようになった。具体的な計画策定はこれからだが「価値を国に認めてもらえた」と安堵の表情を見せた。

富田林市教育委員会は今春から2年がかりで寺内町を再調査する。重伝建に未指定の区域を調べて対象拡大を目指すほか、町全体で築50年以上の建物がどれほど残っているのかも調べる。担当する大場教授は「比較的新しい町家も含めて検討することで、より厚みをもって町並みを評価できる」と意欲を見せる。

町では市民による町おこしイベントや空き家バンクなども活発という。歴史遺産に磨きをかけ、次代に引き継ぐ取り組みが続く。

文 大阪・文化担当 竹内義治

写真 伊藤航

《交通・拝観》近鉄長野線富田林駅から徒歩7分。拝観は午前9時~午後4時、年中無休。山門は通常は閉じており、向かって右側のインターホンで申し出て通用口から境内に入る。
《ガイダンス施設》富田林駅前に観光交流施設「きらめきファクトリー」(午前10時~午後9時)、寺内町に「じないまち交流館」(午前10時~午後5時、月曜など休館)や「寺内町センター」(同)などがある。

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