祭祀の響き 解明に光(時の回廊)
松帆銅鐸 兵庫県南あわじ市

2016/4/8 6:00
保存
共有
印刷
その他

弥生時代の釣り鐘状の青銅製祭器「銅鐸(どうたく)」が、昨年4月に淡路島南西部の兵庫県南あわじ市で7個見つかった。銅鐸は祭祀(さいし)に用いられたとされるだけで未解明な部分が多いが、今回見つかった銅鐸から使い方などが分かってきた。これからの調査で銅鐸が埋められた時期が分かる可能性もある。製作に当たった工人集団にまで迫れるか。謎の解明に期待が膨らむ。

銅鐸はこれまでに、近畿を中心に500個以上見つかっている。このうち、淡路島では古文書の出土記録も含めると14個(多く数える研究者は19個)。新たに見つかった銅鐸は、南あわじ市内の出土推定地の地区名をとって「松帆(まつほ)銅鐸」と名付けられた。

銅鐸の製作時期は「鈕(ちゅう)」と呼ばれるつり手の形式から大きく4分類され、松帆銅鐸7個は最古段階とそれに次ぐ古段階のもの。このうち2個は、江戸時代に島内で見つかった1個と同じ鋳型で作られた同笵(どうはん)と判明し、シカの図像がある。

■使用法を確認

奈良文化財研究所の難波洋三客員研究員は今回の発見の成果としてまず使用方法を挙げる。「最古や古段階の銅鐸はひもでつり下げて鳴らしていたことがはっきりした」というのだ。

これは松帆銅鐸の7個全てが、内側に取り付ける「舌(ぜつ)」(青銅製の棒)を伴って見つかり、銅鐸の鈕にひもの痕跡を確認できたためだ。舌の先端に開けられた穴にもひもの痕跡が見て取れた。銅鐸を手に持って鳴らしたという説もあったが、この説は否定されたといっていい。

松帆銅鐸が最古と古段階だったことも注目点だ。この結果、1カ所で多数の銅鐸が見つかった事例の中では、埋められた時期が早い可能性が出てきた。

解く鍵は、銅鐸を埋める際に、中に紛れ込んでいた葉やひもの痕跡。これらの放射性炭素年代測定がうまくいけば、埋納年代を絞れる。さらに、埋納年代の科学的解明は、弥生時代を西暦でいつとするかの年代観や、近畿における社会の発展段階の見方にも変更を迫る可能性がある。

出土推定地の南あわじ市松帆地区は、タマネギ畑などが広がるのどかな場所だ。500メートルほど西に行くと、播磨灘に面して松原が広がる海岸「慶野松原」。弥生時代の同地区は北から南に砂嘴(さし)が伸び、内側は入り江だったとされる。

■製作地にも迫る

南あわじ市教育委員会の定松佳重さんによると、付近で弥生時代の遺跡が見つかっているが、規模の大きな集落遺跡は10キロほど離れる。近隣では過去に銅鐸に加えて銅剣14本も出土している。青銅製品の製作は当時の先端技術。なぜ、松帆地区に埋められたのか。難波さんは「松帆周辺が内海交通の要衝だったことと関係する」と考えている。

松帆銅鐸には島内で見つかったのとは別の銅鐸と同笵と思われるものが含まれており、奈良文化財研究所は詳しく調査する予定。研究が進むと製作地や製作工人の集団にも迫れそうだ。

文 編集委員 小橋弘之

写真 伊藤航

《交通》松帆銅鐸の出土推定地の南あわじ市松帆地区は、三宮から高速バスで約1時間半乗車し、陸の港西淡で下車後に車で約10分。石材関連会社が保管していた採取土砂の中から見つかったため、正確な出土地は不明という。
 松帆銅鐸は3月27日まで兵庫県播磨町の県立考古博物館に展示されていたが、4月から銅鐸の本格的な調査が始まったため、当分は公開の予定がない。
保存
共有
印刷
その他

関連キーワード

電子版トップ



[PR]