2019年1月22日(火)

三菱自動車、米生産撤退へ 過剰設備ようやく一掃

2015/7/24付
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三菱自動車は米イリノイ州の工場での生産を中止し、米国の自動車生産から撤退する。オーストラリアと欧州工場の撤退、水島製作所(岡山県倉敷市)のライン集約など、工場の整理で苦しんできた設備過剰の状態を脱する。身軽になった後には、新たな提携先の模索が焦点になる。

三菱自にとって米国生産は長年頭痛のタネだった。赤字を垂れ流す「問題児」でありながら、無視できない1500万台を超す世界有数の自動車市場だからだ。

三菱自の米国子会社の前身は1988年に生産が始まった米クライスラー(現フィアット・クライスラー・オートモービルズ、FCA)との合弁会社だ。

スポーツ車「エクリプス」の流線形のデザインは三菱自の代名詞として絶頂期を象徴するモデルだった。だが、転機となったのが不祥事と、それに伴う販売戦略の失敗、経営環境の変化だ。

同社工場で起きたセクハラ事件によって、96年、米雇用機会均等委員会が三菱自の米子会社を提訴し、ブランドイメージの悪化につながった。販売面でも値引き販売の乱発により、米で「安い車」というイメージが定着してしまった。

日本から幹部を現地トップとして相次ぎ出し、「ギャラン」など北米専用車を開発して立て直しを図ったが、収益の立て直しは難航した。2000年と04年には日本でリコール(回収・無償修理)隠しが発覚し、販売減で経営危機に陥ると、開発する車種も絞り込みを迫られ、米向けの新車投入も難しくなった。

12年には多目的スポーツ車(SUV)1車種のみの生産とし、輸出拠点化したが、「ロシア向けの輸出が思ったよりうまくいかなかったのが誤算だった」(幹部)。

大手自動車メーカーの中で欧米両国の生産から撤退するのは三菱自が初めて。「東南アジア一本足」はますます先鋭化し、自動車メーカーとしては特殊な戦略をとることになる。やはり今後のカギは提携戦略だ。

三菱自はダイムラー・クライスラー(当時)との提携解消など過去の苦い経験から「資本提携はうまくいかない例が多い」(益子修会長)と慎重な姿勢を貫くが、車種や地域に限定した緩やかな提携には前向きだ。

日産自動車・仏ルノー連合とはセダン調達を検討したほか、FCAとはメキシコの小型車、タイのピックアップトラックでのOEM(相手先ブランドによる生産)で協業するなど関係を深めている。こうした枠組みを生かしながら、補完体制を築いていく提携戦略が求められることになる。

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