「今日は通過点」遺族ら悲しみ深く 尼崎脱線10年

2015/4/25付
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事故現場のマンション近くに設けられた献花台には、早朝から遺族や負傷者らが花を手向け、手を合わせた。

列車が衝突した跡が残るマンションで犠牲者の冥福を祈る人たち(25日午前、兵庫県尼崎市)

「10年たっても何ひとつ解決しない。今日は通過点と思っている」。通学途中だった長女の容子さん(当時21)を亡くした兵庫県三田市の奥村恒夫さん(67)は午前7時40分ごろに献花した。

JR西に事故原因を問いただす文書を送る一方、「加害企業が責任を負わないのはおかしい」との思いから、事故を起こした法人を罰する組織罰についての勉強も始めた。社会の関心の薄れも感じる。「容子は『お父さん、もういいよ』と言うと思う。でもこれからも頑張る」。鉄道の安全を見届けるという誓いをこの日、改めて伝えた。

一人娘の中村道子さん(当時40)を失った藤崎光子さん(75)は午前10時前に献花台に。「10年たったのが信じられない。娘がいないという現実は、今も受け入れられない」とかみしめるように話した。

2両目で重傷を負った兵庫県多可町の小椋聡さん(45)は妻の朋子さん(46)とともにこの日、マンション近くに献花した。事故で足をはさまれ、ここで宙づりになった。「事故の記憶に一番近い場所。たくさんの人が亡くなった場所でもある」と静かに話した。

事故現場から約2キロ離れた尼崎市総合文化センターのホールで始まった追悼慰霊式では、遺族らが祭壇に向かい静かに鎮魂の祈りをささげた。夫の岡和生さん(当時37)を亡くした由美さんは、ギターで追悼曲を献奏。家族を亡くした悲しみを遺族らが語る「慰霊のことば」は希望者がおらず、今回は行われなかった。

一方、事故車両とほぼ同じ時刻に運行したJR福知山線の電車は25日、現場近くで追悼の警笛を鳴らした。衝突したマンションが見えると、乗客らは席を立って現場を眺めたり、黙とうするなどしていた。

花束を持って乗車した千葉県四街道市の契約社員、吉田雅史さん(40)は毎年のように事故現場を訪問するが、「事故のことは世間からは忘れられつつある」と複雑な表情を浮かべた。

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