吉田茂氏と賀川豊彦氏、ノーベル平和賞の最終候補だった
ノーベル研究所の開示資料で明らかに
日本の戦後復興や民主化に貢献したとしてノーベル平和賞候補に推薦された吉田茂元首相(1878~1967年)が65年の選考で最終候補に残っていたことが、ノルウェー・オスロのノーベル研究所が開示した資料で24日までに確認された。貧困や労働問題に取り組んだ社会活動家の賀川豊彦(1888~1960年)も54~56年に最終候補だった。
吉田や賀川が平和賞候補として複数回推薦を受けていたことは既に明らかになっていた。日本人の平和賞受賞は74年の佐藤栄作元首相だけで、2人ともこれより前に日本初の平和賞に近い立場にいたことになる。
ノーベル研究所は平和賞の選考主体、ノーベル賞委員会の補佐機関。65年の資料は、吉田のほかウ・タント国連事務総長や国連児童基金(ユニセフ)など最終12候補の名前が記され、それぞれの経歴や功績に関する分析を詳述している。
吉田は強い指導力で戦後の時代を率い、米占領当局と良好な関係を築いたと指摘。吉田が強い親近感を抱いていた元西ドイツ首相のアデナウアーから、吉田の受賞を支持する書簡が送られたとも記した。
当時の佐藤首相や椎名悦三郎外相、横田喜三郎最高裁長官らの推薦状も残っていた。
賀川については、54年に社会党の片山哲元首相や平和賞受賞者の米女性作家エミリー・ボルチらが推薦。神戸のスラム街での救貧活動などを紹介、アフリカでの医療奉仕で知られるシュバイツァーらと並べる声もあると紹介した。
54年には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が平和賞を受賞。55年と56年は受賞者なし、65年はユニセフだった。(オスロ=共同)