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シベリア出兵、記録克明 従軍兵士の手記36巻発見

1917年のロシア革命で共産主義のソビエト政府が誕生し、翌18年から日本が軍事介入したシベリア出兵について、従軍した兵士が激戦の様子などを克明に記した手記を残していたことが22日、分かった。混迷する状況を「日本に於(お)ける戦国時代の如く」と表現。集落の焼き打ちや住民の銃殺も記すなど、極寒の地で極限まで高まった緊張を伝えている。

来年はシベリア出兵開始から100年の節目。海軍兵の手記の発見は珍しく、専門家は貴重な史料と評価している。

手記を書いたのは、岐阜県坂内村(現揖斐川町)出身で、76年に84歳で亡くなった田辺和市さん。18~20年に臨時海軍派遣隊で渡ったシベリアを中心に、11年余りの軍隊生活を記録し、晩年に「東西南北」と題した36巻の手製の冊子にまとめた。孫の和政さん(60)=同県=ら遺族が保管していた。

戦艦三笠などの乗組員だった田辺さんは、18年10月にロシアのウラジオストクに入港し、内陸のハバロフスクへ移動。19年1月にアムール川沿いのブラゴベシチェンスクに配置され、沿岸の警戒や陸軍部隊を支援する黒竜江艦隊で砲艦の砲撃手や陸戦隊員を務めた。

手記は現地の状況を、多様な抗日勢力が参加したパルチザンによる鉄道や通信施設の破壊が相次ぎ、全滅した部隊もあるなど「何時事変が起こるかも知れぬ」と記述。集落の掃討部隊の行動は「止(や)むを得ず主謀(しゅぼう)者らしきもの三十一銃殺せり」と細かく記し、敵の勢力が迫っているとされた際は「もうあと三時間しか自分の命はない」とした。

ブラゴベシチェンスク郊外の村イワノフカでは電信局が占拠されたことなどから敵の拠点と判断。19年3月に激しい攻撃を加え家屋を焼き打ちし、住民ら約300人が犠牲になった事件では「過激派に加担するものは全部焼き払う事となり之(これ)を決行した」と指揮官の判断を記載した。

田辺さんの砲艦は、アムール川の支流ゼヤ川や源流シルカ川もさかのぼって沿岸を制圧。「着弾頗(すこぶ)る正確にして艦側近くに炸裂(さくれつ)」という敵の攻撃に対し、「命令の儘(まま)に打ちに打ちまくった」「掃布をもって砲身を濡(ぬ)らすと焼け石の如(ごと)くにジュウ~として泡立つ」と反撃の様子を描写した。

ハバロフスクへ退いた20年4~5月は、通信や補給が途絶えた孤立状態で市街戦を経験。連日続いた装甲車による襲撃や空襲に、係留した砲艦などから応戦し「付近数米(メートル)に三十発の着弾があった爆音と共に付近一帯土烟(けむり)」「夜の暗を突いて打ち出す彼我の砲戦其(そ)の壮烈筆残に尽くし難し」とつづっている。〔共同〕

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