秀吉の朱印状33通 重臣に指示・叱責、東大史料編纂所が修復

2016/1/21 20:45
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 兵庫県たつの市が2014年に購入した古文書約50通に豊臣秀吉から「賤ケ岳七本槍(やり)」の一人として知られる重臣、脇坂安治へ宛てた朱印状33通が含まれていたことが分かり、東京大史料編纂所と市立龍野歴史文化資料館が21日、発表した。日付は天正年間(16世紀後半)が多かった。詳細な指示や叱責なども記されており、秀吉の天下統一前の情勢が詳しく分かるという。

 豊臣秀吉が脇坂安治へ宛てた書状。左奥は東京大史料編纂所の村井祐樹助教=21日、兵庫県たつの市
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 豊臣秀吉が脇坂安治へ宛てた書状。左奥は東京大史料編纂所の村井祐樹助教=21日、兵庫県たつの市

 書状は小牧・長久手の戦い、九州平定、大坂城造営、朝鮮出兵などについて記していた。解読した同編纂所の村井祐樹助教は「天下統一前の早い時期の史料がまとまって出てきたのは貴重だ。秀吉の細かい性格も読み取れる」と話す。

 書状からは、1585年ごろ、安治が京都御所などを建設するための材木を運ぶ役割だったことが判明。北陸攻めに加わりたいと繰り返し求め、材木の運搬をおろそかにしていた安治を秀吉が「曲事たるべく候(けしからんことだ)」などとたびたび叱っていた。

 追放者をかくまわないよう指示した書状では、「犯罪者を少々隠しても信長の時代のように許されると思い込んでいると厳しく処罰する」との内容の記述もあった。

 安治はその後、淡路洲本藩主となり、瀬戸内海の水運や水軍を担った。村井助教は「秀吉に何度叱られても重用された。2人の親密な関係が垣間見える」と分析する。

 小牧・長久手の戦いに関する1584年の書状では、敵の織田信雄が秀吉に求めた和睦の詳細が分かった。信雄の娘や徳川家康の息子らを人質に出すとの条件だったが、和睦を許さなかったことを安治に伝えている。

 また、大坂城に使う石を淡路島から船で運んだり、九州平定で船を惜しまず出航させるよう命じたり、朝鮮出兵の戦況を細かく問い合わせたりする記述もあった。

 書状は安治を祭る龍野神社(たつの市)が所蔵していたが、1965年ごろに流出。同資料館が持ち主を探し、購入した。保管先の火災で焼けたり、水浸しになって放置されたりしていたため、同編纂所が1年以上かけて修復、解読した。〔共同〕

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