広島土砂災害、初の関連死 「被爆の母、ひどい目に」
昨年8月の広島市の土砂災害で埋まり、ことし3月に肺炎で亡くなった安佐南区の長島和江さん(当時86)が初めて関連死と認められ、災害による死者は75人となった。70年前の原爆で苦しんだ母。長男の孝二さん(59)は「再びひどい目に遭ってしまった」とやり切れない思いを語った。
昨年8月20日午前3時ごろ、仕事を終え帰宅中の孝二さんを突然の土砂が襲い、乗っていた車が押し流された。「母は大丈夫か」。車を捨て自宅まで歩くと玄関がふさがれ開かない。窓を割って入ると、ベッドから落ち体まで土砂に埋まった和江さんの姿があった。
急いで消防や警察に電話したがつながらず、和江さんが病院に運ばれたのは、昼近くだった。
病院に運ばれた母は肺炎にかかり、9月1日には「あと2日の命」とまで言われた。何とか回復したが「家にはいつ帰れるの」とうわ言のように繰り返す母を、孝二さんは「もうすぐ帰れるよ」と励ますしかなかった。
寒くなったころ病状は悪化、ことし2月には意識がなくなり、3月1日に死亡した。
和江さんは16歳の時、広島駅で被爆。首にはケロイドの痕が残っていた。入市被爆した夫と結婚。苦しい家計の中、深夜まで和裁をして孝二さんと弟を大学まで出した。70代になると、趣味の書道を楽しんでいたが、晩年は乳がんや肺がんでも苦しんだ。
孝二さんが3月10日、災害関連死の申請のため区役所を訪れると「一度回復しているので病死ではないか」と突き返された。「それはないでしょう」。死亡までを時系列に記し、カルテを集め、裁判例を調べ、10回以上区役所に通い続けた。
7月になって、ようやく認められた。災害と死因とを結び付ける診断書が決め手となった。
孝二さんは和江さんが車いすでも過ごせるようバリアフリーに改修した自宅に1人で暮らす。認定を受け「母の弔いになった。これで私も少しは前向きに生きていける」と話し、母の遺影に手を合わせた。〔共同〕
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