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追悼の光 天まで届け 阪神大震災22年「一日も忘れず」

「一日たりとも忘れたことはない」「被災した人々の思いを感じたい」。17日、阪神大震災は発生から22年を迎えた。遺族、被災者、震災を知らない若い世代。「あの日」と同じ寒空の下、人々はそれぞれの思いを胸に集い、追悼と伝承の誓いを新たにした。

神戸市中央区の東遊園地で開かれた「1.17のつどい」。阪神大震災の発生時刻に合わせた午前5時46分、遺族や被災者らは手を合わせた。冷え切った暗闇の中に、竹灯籠のあたたかい光が「1995 光 1.17」の文字を浮かばせた。犠牲者の名前を並べた「慰霊と復興のモニュメント」の前には長い献花の列ができた。

「あの時のショックは今も忘れられない」。神戸市灘区の実家で暮らしていた母と弟を亡くしたという高知市の会社員、松島千代美さん(56)は振り返る。

震災直後、ニュースで犠牲者を報じる字幕の中に母の名前を見付けた。飛行機に飛び乗ったが、2人と対面したのは火葬場だった。2階建てアパートの下敷きになり、遺体で発見されていた。

「なぜ母と弟が」。喪失感でいっぱいになり、当時を思い出すのもつらい日々が続いたが、20年以上たって余裕も生まれた。「つどい」には今回が初めての参加。「震災の記憶を忘れず、日ごろから大災害に備えなければならない」と言葉に力を込めた。

震災から4日後に生まれた神戸市灘区の大学4年、勝見泰次さん(21)は4月から京都大防災研究所に進学する予定だ。「実際に被災した人々の思いを肌で感じたい」と初めて参加した。

母は倒壊した自宅に閉じ込められ、救助後に搬送された京都府の病院で泰次さんを産んだ。「もし家に火が回っていたら私もあなたも生きていなかった」と母の言葉に衝撃を受けた。「自分も被災者の一人。地震の被害を抑える仕事に携わりたい」と、防災関係の仕事に就きたいと考えている。

専門学校生だった次男(当時19)を失った愛媛県今治市の無職の男性(73)は「22年間一日たりとも忘れたことはないが、つどいに来ると改めて、息子と向き合える気がする」と声を震わせた。ほぼ毎年参加している神戸市須磨区の無職、横林賢二さん(67)は「最近は震災を知らない若い世代に伝えることが大切だと感じている」という。

一方、東日本大震災の被災地でも、大きな被害を出した2つの震災を「忘れないでほしい」と願った。

津波で甚大な被害が出た岩手県陸前高田市。震災時に避難所になった高台の資料館には約20人が集まり、午前5時46分に合わせて黙とうした。

資料館には、神戸市から贈られた「希望の灯り」と呼ばれるガス灯がある。資料館館長の武蔵裕子さん(56)は「神戸の人たちと同じ気持ちになって黙とうした。2つの震災の記憶が風化しないよう、毎年続けていかなければならない」と決意を新たにした。

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