阪神大震災の教訓、我が身のものに

2015/1/16付
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「震災がなければ、私はここまでしていません」。NPO法人「神戸グランドアンカー」理事長の村上和子さんは2003年に地元テレビ局を退職し、翌年にNPOを設けて文化発信を続けてきた。「ミナト神戸らしさが戻っていなかったから」。設立理由を語る村上さんに涙が浮かんだ。

神戸で取材をしているとこうしたことが今もある。それほど震災の経験は重い。が、その涙は復興の糧にもなってきた。

震災から20年。神戸も周辺の被災地も、表面上は美しく復興した。

「もう一度きれいな神戸を」と願いを込めて「元町ルージュ」など神戸らしい万年筆用インクを開発した文具店、全壊した明治時代の洋館を国や自治体の協力を得て再建した企業。復興は住民、NPO、企業、行政が積み重ねた努力のたまものだ。全国からの温かい応援が支えた。

ボランティア活動、災害医療など阪神大震災を契機に進んだものは多く、東日本大震災でも生かされた。一方で課題もたくさん残る。木造住宅や市場が密集していた被災地は区画整理で防災に配慮した街に生まれ変わったが、活気は戻らない。

震災時の兵庫県知事として復旧・復興の指揮を執り、昨年11月に交通事故で亡くなった貝原俊民さんは生前、こう語っていた。「第一に自分の命は自分で助ける『自助』が基本。次に巨大災害に備えて地域コミュニティーや自治体が対応能力を高めることです」

この20年で日本人の防災意識は大きく変化した。「1.17」「3.11」など毎年巡り来る被災の日が準備を怠るなと警告してくれる。しかし阪神や東日本の経験、教訓を本当に我が身のものとできているだろうか。いま一度「自助」から考えたい。(編集委員 宮内禎一)

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