2018年10月16日(火)

元特攻隊員、宮崎空港での記念館新設に懸命 かつて海軍飛行場

2016/8/16 12:35
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宮崎空港はかつて、旧日本海軍の飛行場だった。太平洋戦争末期には、神風特攻隊を送り出す拠点となった。戦後71年、その事実は忘れ去られつつある。歴史を風化させまいと、元特攻隊員らは記念館の新設を目指して地道な活動を続ける。

空港近くの草木が生い茂る場所に、宮崎県出身の特攻隊員ら約800人の死を悼む石碑が、ひっそりと立つ。1983年にこれを建立した「宮崎特攻基地慰霊碑奉賛会」は毎年4月に慰霊祭を開いているが、普段は石碑を訪れて手を合わせる人もほとんどいない。

同会の庭月野英樹さん(90)は戦時中、旧海軍に所属。特攻を命じられて千葉県の基地で待機中に終戦となった。戦後は宮崎市に移り住み、空港に併設された航空大学校の教官を務めた。「ここから出撃した多くの若者が戦場に散った。地元の人ですら、空港の過去を知らない」と憂える。

同会や宮崎県によると、宮崎市東部・赤江地区の海岸沿いに1943年12月、旧海軍航空隊の練習基地として飛行場が設けられ、後に台湾など南方方面への中継作戦基地となった。戦局が悪化した45年2月には特攻基地となり、沖縄などに47機が出撃し127人が戦死したとされる。

宮崎市は空港が特攻基地だったことを伝える遺品や写真など約20点を、市営歴史館の特別収蔵庫で保管している。ただ歴史館は戦争をテーマにした施設ではなく、これらを展示していない。

このため同会は遺品類を紹介する記念館を赤江地区に新設するよう、長年にわたり市へ要望している。「特攻隊員の遺品や基地に関する新たな品々を集め、継承できる」との考えからだ。だが市は「収蔵品に歴史的価値があるものが少ない」などとして、記念館構想には消極的だ。

発足当初に約500人いた同会のメンバーは今や十数人。平均年齢も90歳を超えたという。それでも空港ロビーや商業施設で企画展を催し、歴史の伝承に努めている。

同会事務局長の丸山正行さん(89)=宮崎市=は「いつまで体力が続くか分からないが、多くの人々の記憶にとどめておいてもらえるよう頑張る」と話す。〔共同〕

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