函館空襲71年後の恩返し 撃沈艦の元乗員、救助に感謝し寄付

2016/7/16 11:47
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太平洋戦争末期の1945年7月14日、米軍の函館空襲で北海道・函館湾で撃沈され、多くの乗組員が犠牲になった駆逐艦「橘(たちばな)」の元乗員、三留直高さん(91)=神奈川県寒川町=が空襲から71年の14日、当時海で救出活動に当たった旧茂別村(現北斗市)の住民への感謝として100万円を同市に寄付した。「これでやっと恩返しできたと思う」と晴れ晴れとした表情で語った。

艦には約280人が乗船。三留さんが機関室の配置についていると投下された爆弾で「船がぐわっと持ち上がった」。海に飛び込み、2時間ほど漂流した後に陸軍の兵士に引き上げられて救助された。「多くの仲間は地元の民間漁船に助けられたようだ」と話す。

救助後、ぼろぼろの衣服で茂別村の茂辺地付近に着き、学校の講堂のような場所で三留さんを迎えてくれたのは真っ白な布団だった。「とにかく眠くてぐっすり寝かせてもらった。汚い体で布団にくるまるのは申し訳なかった」。布団の端には筆で「小学五年」と女の子の氏名が書かれており、以来、恩返ししたいとの思いが募っていた。

三留さんは約25年前からほぼ毎年、函館市の護国神社で行われる橘の犠牲者の慰霊祭に参加。「空襲の日は訪ね続けたい」と語る。寄付金については「布団に寝かせてもらった講堂や仲間を助けた漁船を思い、学校や漁業関係を中心に役立ててほしい」と話した。〔共同〕

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