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半世紀、忘れぬ熱気 64年東京五輪「金」の吉田さん

1964年10月10日、戦後復興と高度経済成長を印象づけた東京五輪の開会式が行われた。あれから50年。6年後の2020年には2度目の東京五輪が開かれる。「失敗を恐れず思い切って挑戦してほしい」。半世紀前、男子レスリングで金メダルを獲得した後、ビジネスの世界でも活躍した吉田義勝さん(72)は若者たちにエールを送る。

64年10月、会場の駒沢体育館(東京・世田谷)は2千人を超す観客で埋め尽くされていた。「吉田、がんばれ」の大声援と無数の日の丸。「ものすごい熱気が大きな支えになった」

北海道旭川市出身。定時制高校1年の時にレスリングと出合い、天井の隙間から雪が入り込む体育館で練習を重ねた。日本大進学後は警備員のアルバイトなどで生活費を稼いだ。「周りも苦学生ばかり。日本は再び立ち上がろうという高揚感に満ちていた」。五輪や新幹線はその象徴だった。

五輪直前に体調を崩し、開会式には参加しなかった。病み上がりで臨んだ初戦でフランス人選手に勝って勢いに乗った。最大の難関は5回戦。対戦相手のソ連(当時)のアリエフ選手は、日本人選手が誰一人勝てなかった強敵だった。

試合後半、アリエフ選手が重心を移す瞬間を見逃さずタックルを決めた。決勝も勝って金メダル。その日、控室で見た母親の涙は今も忘れられない。

「お前に一流企業を紹介してやる」。五輪後、故八田一朗・日本代表総監督の一言が人生の転機になった。大学卒業後は故郷で教師になろうと思っていたが、恩師の誘いを断れず「3年で辞めるつもり」で明治乳業(現明治)に入社した。

配属先は病院などに乳児用粉ミルクを使ってもらうため商品を宣伝する部署。営業の第一線に放り込まれ、右も左も分からずに途方に暮れる日々だった。

だが、八田総監督に恥をかかせられない。取引先の信頼を得ようと趣味や家族構成を調べ上げ、土日は接待ゴルフ、引っ越しや庭の草むしりまで手伝った。「相手を観察して戦略を練るレスリングの経験が役立った」。第2次ベビーブームも追い風となり、営業成績が上がると仕事に夢中になった。

沖縄、名古屋、大阪と転勤も経験した。入社から30年後の95年には取締役に就任し、同じころ日本レスリング協会の理事にも選ばれた。低迷するレスリングをもり立てたいと社長に頼み込み、協会への資金援助を協力してもらった。日本代表の選考を兼ねる全日本選抜選手権は今も「明治杯」だ。

6年後の東京五輪。吉田さんは「人と街が成長できる絶好のチャンス。この機会を大切にして大会を成功に導いてほしい」と語り、50年前に出られなかった開会式をその目で見る日を楽しみにしている。

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