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遺族支えた会報100号 日航機墜落事故、12日で29年

1985年8月12日、群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に日本航空のジャンボ機が墜落し、乗客乗員520人が死亡した事故の遺族でつくる「8.12連絡会」の会報が7月で100号となった。事故から29年。遺族は「悲しみを共有し、一人じゃないと安心できた」などと話し、今でも会報を心の支えとしている。

会報「おすたか」は86年2月に創刊。遺族から連絡会に寄せられる手紙や電話、連絡会の活動報告などを掲載している。9歳の次男を失った連絡会事務局長の美谷島邦子さん(67)を中心に当初は毎月1度、遺族らが仕事帰りに集まり、泊まりがけで作業をしていた。

現在は美谷島さんが原案を作り、数人が目を通す方法で編集。発行ペースは年2回ほどに減ったが、手紙を基に文集「茜雲(あかねぐも)」も出している。東日本大震災などの災害や交通事故の遺族からの要望を受け、会報を送っているという。

創刊号は手分けして印刷し、墜落現場となった群馬県上野村の当時の黒沢丈夫村長(故人)が慰霊碑の建設状況を報告し、連絡会の会合内容などを盛り込んだ。写真はなかった。

事故から泣いてばかりいたという、夫の母と子供2人を亡くした遺族は「皆さまのように強く生きねばと心より思いました。連絡会があることが心の支えで励ましです」と心境の変化を打ち明けている。

美谷島さんは、発行当初に「ポストから取り出して玄関に立ったまま読みふけった」という声が寄せられたと振り返る。ある親が何度も子供の成長についてつづり、初対面の遺族に「大きくなったね」と声を掛けられることもあったという。

100号には、今年6月に遺族が日航安全啓発センター(東京)を見学する様子などをカラー写真で紹介。ほかにこれまで発行した会報の表紙も掲載している。

「『母がいてくれたら』と思ったことは数え切れない」。当時50歳の母親を亡くし、今年に母親と同じ年齢になった女性は「3人の子も順調に成人している。本当は母にほめてもらいたいのだね」と長年募らせていた思いを記した。

妊娠中に夫を亡くした小沢紀美さん(58)は「悲しくてどうしようもなく不安だった時、何度も読み返した。今でも心の支えになっている」と寄稿した。〔共同〕

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