淡路島の銅鐸、紀元前4世紀ごろ埋めたか 付着植物片で判明

2017/6/6 20:47
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兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった青銅祭器「松帆銅鐸(まつほどうたく)」7個(弥生時代前期―中期)は紀元前4~前2世紀前半(弥生時代中期前半)に埋められたとみられることが付着していた植物片の放射性年代測定で分かり、市教育委員会などが6日発表した。

銅鐸の埋められた年代が科学的な分析で分かるのは初めて。市教委は「銅鐸は一緒に出土する遺物が少なく、年代が分かりにくい史料だけに、付着していた有機物から埋納時期を特定できた意義は大きい」としている。

銅鐸は時代とともにつり手部分が薄くなり、古いものから菱環鈕(りょうかんちゅう)、外縁付鈕(がいえんつきちゅう)、扁平鈕(へんぺいちゅう)、突線鈕(とっせんちゅう)に分類され、前3者が古いタイプで「聞く銅鐸」、突線鈕は新しいタイプで装飾が多いことから「見る銅鐸」と考えられており、銅鐸の役割が変わったとされている。

松帆銅鐸は、1号が菱環鈕、2~7号が外縁付鈕という古いタイプばかり。古いタイプは西暦0年ごろ(弥生中期末)に、新しいタイプは2~3世紀(弥生後期末)に埋められたとする2段階説が有力だが、古いタイプよりも150年以上前に埋められていたことになり、銅鐸の埋納の意味を巡り論議を呼びそうだ。

4号の内部や、銅鐸を鳴らす「舌」と呼ばれる棒に付着していたイネ科や樹皮とみられる植物片に含まれる放射性炭素を調べて分かった。

銅鐸が埋められた理由については、集落の統合によって集めて埋められた、邪悪なものがムラに入らないように境界に埋められたなどの説がある。

かつて銅鐸は、古墳時代の到来を前に、弥生後期末に、古いものから新しいものまでが一斉に埋められたと考えられていた。〔共同〕

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