えひめ丸事故15年、悲劇から生まれた絆 交流今も

2016/2/7 0:15
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2001年に米ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高校(同県宇和島市)の実習船えひめ丸が米原潜に衝突され沈没、実習生ら9人が亡くなった事故は10日で発生から15年。遺族らの悲しみは癒えず、同校関係者は再発防止を誓う。事故をきっかけに、ハワイと愛媛の間には新たな絆も生まれた。

教員としてえひめ丸に乗船していた牧沢弘さん(当時37)を亡くした妻の美香さん(51)は「2年に1度は遠洋航海に行っていたので、まだそこから帰っていないように感じる」と話す。

当時は就学前だった長男はこの春、高校を卒業する。長男には事故について詳しく話しておらず、美香さんは「今もあまり考えないようにしている」と言う。

水口龍吉さん(63)、欣子さん(57)夫妻の長男、峻志さん(当時17)は事故で唯一遺体が見つかっていない。欣子さんは「子供の同級生が結婚したと聞くたび、生きていたらと寂しさを感じてしまう。当時を思うと今もつらいが、憎しみの感情は持たないようにしてきた」。

毎年、現地の追悼式典に参加している龍吉さんは「これからも息子に会いに、ハワイに行き続ける」と語った。

えひめ丸は事故の翌年、後継船が造られた。米軍側の過失が原因の事故だったが、宇和島水産高では安全マニュアルを改良するなど対策を強化。現在も回数を減らして実施されているハワイ沖への遠洋航海前には、実習生も参加して脱出訓練を行っている。

同校の教員で、航海時の安全対策の責任者を務める揚村勝幸さん(54)は「二度と事故を繰り返してはならない。安全は祈るものではなく、実行するものだ」と決意を述べた。

▼懸け橋 事故後の被害者支援や慰霊碑建立などで関係が深まった愛媛県とハワイ州は03年、ホノルル市と宇和島市は04年にそれぞれ姉妹提携。13年からは県などが毎年、交流事業として高校生8人をハワイに派遣している。

4泊6日の日程で生徒らは、ホノルルにある慰霊碑も訪問。昨年10月に派遣された県立今治西高1年の村上玉実さん(16)は事業がきっかけで、事故について知ったという。「実際に慰霊碑の前で説明を受け、ショックを受けた。私たちと同じくらいの年齢で、同じようにハワイに行くことを楽しみにしていたはず」とうつむいた。

海沿いの公園にある慰霊碑には毎週土曜日、清掃ボランティアが訪れ、約1時間かけて布で磨く。事故当時ハワイ日系人連合協会の会長だったケン・サイキさん(74)らが始め、02年の建立以来、在ハワイの各県人会や地元の高校生など延べ千人以上が参加した。

遺族とも交流を深めてきたサイキさんは「海の安全や限りある命について考える大切な時間だ。悲しい事故だったが、今では愛媛とハワイの間にすばらしい橋が懸かった」と語った。

▼えひめ丸事故 米ハワイ・オアフ島沖で2001年2月9日(日本時間10日)、愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸(499トン、35人乗り組み)が、緊急浮上した米国の原子力潜水艦グリーンビルに衝突され沈没。生徒4人、教員2人、船員3人が亡くなった。05年に米運輸安全委員会が公表した調査報告書は、乗組員間の意思疎通の欠如や、体験搭乗していた民間人が安全確認の妨げになったことが事故原因と指摘した。

〔共同〕

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