2019年4月19日(金)

信長「幻の上洛」、大名離反で頓挫 裏付ける書状発見

2014/10/3付
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熊本県立美術館と熊本大、東大は3日、織田信長が天下統一に向け、1568年に上洛(じょうらく)する2年前に計画した「幻の上洛作戦」を裏付ける足利将軍家側近の書状を発見したと発表した。計画の存在は知られていたが、書状により信長が予定していた上洛の経路が具体的に判明。日付から、計画が実行直前で頓挫したことも分かるという。

県庁で記者会見した熊本大永青文庫研究センターの稲葉継陽教授は「信長が早期から京都で実権を握る計画を立てていたことを裏付ける非常に貴重な史料だ」と述べた。

書状は、室町幕府13代将軍、足利義輝の暗殺後、京都を逃れた義昭(後の15代将軍)の側近らが署名した計14通で、いずれも1566年(永禄9年)8月28日付。

幕府再興を目指す義昭と側近が伊賀(三重県)や山城(京都府)など京都周辺の勢力に宛て「御入洛の御供として織田尾張守参陣し候」と、義昭の上洛で信長の協力を得たことを示し、自らに味方するよう呼び掛ける内容だ。

宛先などから、信長らは尾張(愛知県)から北伊勢(三重県)、甲賀(滋賀県)、矢島(滋賀県)を経て京都に入る予定だったことが分かる。書状の日付の翌29日、近江の有力大名、六角氏が義昭側から離反、計画は頓挫した。

書状は足利家に医術で仕えた米田貞能(求政)に託されたとみられるが相手先には届けられず、その後は裏返して袋とじにし、再利用して中世の医術書が書き写されていた。

熊本県立美術館が昨年10月、永青文庫研究センター、東大史料編纂所と共に熊本市の個人宅の古文書を調査し、医術書の裏面の書状を発見した。米田家は後に熊本藩の家老となった。

書状は、同美術館で10日から一般公開される。〔共同〕

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