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石田三成腹心、島左近の書状発見 東京大など

戦国武将、石田三成の腹心だった島左近が記した書状2通が初めて見つかり、東京大史料編纂(へんさん)所と長浜城歴史博物館(滋賀県長浜市)が1日までに発表した。

豊臣秀吉が「三成に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と 佐和山の城」と評価するほどの人物だったが関係史料は少なく、同博物館の太田浩司館長は「島左近の動向や実像に迫ることができる画期的な発見」と話している。

2通はいずれも天正18年(1590年)7月に書かれていた。秀吉が小田原北条氏を滅ぼした後に、島が常陸(茨城県)の戦国大名、佐竹義宣の重臣小貫氏と佐竹義久に宛てており、秀吉に従うことになった佐竹氏との交渉に島が当たっていたことが分かるという。

1通は、常陸の大掾(だいじょう)氏が秀吉側に人質を出すのを渋っていたため、今後の対処について佐竹氏側に問い合わせた内容。書状は縦33.6センチ、横46.5センチ。もう1通は縦32.7センチ、横45.2センチで、領地支配の方法などを指示した内容だった。

同編纂所の村井祐樹助教は「島は石田三成の下、交渉で重要な役割を果たしていたことが分かる」と注目している。

書状は、同編纂所の調査で、大阪府内の民家から見つかった。7月23日~8月31日に、長浜城歴史博物館で開催する「石田三成と西軍の関ケ原合戦」で公開する。〔共同〕

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