川をまたぐホーム 阪神武庫川駅(謎解きクルーズ)
治水で橋新設、駅が引っ越す 用地も要らず「合理的」
初めて夏の甲子園を観戦した際、途中に通る阪神武庫川駅をみて驚いた。川にかかった約200メートルの橋の上にホームがあるのだ。大きな川の上にある駅のホームは全国の都市部でも珍しい。異様な光景はいつ、どのようにして生まれたのだろうか。

橋の上が全面ホームで、線路の下には川を泳ぐ魚の姿。スマートフォンを落としたら戻ってこない気がする。「落とし物をする方がいないか気になります」と武庫川駅の駅員さんは語る。改札口があるのは西宮市側と尼崎市側の両端だ。
◇ ◇ ◇
関西では阪神芦屋駅や阪急夙川駅のホームも川の上にある。だが、武庫川ほど幅の広い川の上にあるようなホームは、全国の都市部を見渡してもほとんど例がない。橋の上にホームをつくると耐久性を高める必要があり、保守の費用などが余分にかかるためだ。
なぜ橋の上にわざわざつくったのか。駅員に聞いても道行く人に聞いても理由は分からなかった。そこで阪神電気鉄道の都市交通事業本部の梶原英二さんに質問。「尼崎に本社があった時代に空襲などで大部分の資料が焼けてしまい、現存する資料から推測するしかないのです」と断りつつも丁寧に教えてくれた。

武庫川駅は1905年(明治38年)、阪神電鉄開業とともに誕生したとされる。開業時は約14メートルの車両が1両走っていた。ホームは当時、橋の外側にあり、現在の尼崎市に近い側に位置していたという。
橋の上につくるきっかけとなったのは大正時代の武庫川の改修工事らしい。兵庫県は当時としては巨額な約310万円を投じ、1920年(大正9年)に改修を開始。その費用は武庫川から枝分かれしていた枝川、申川付近の用地を阪神電鉄に売却して捻出した。
兵庫県は駅付近に橋が少なく不便だったため、捻出した費用で人道橋の建設に取りかかった。一方、阪神電鉄も古くなっていた線路を更新する必要があったことから、新しい線路の建設に着手。従来の線路で電車を運行させながら、人道橋を挟んで新しい鉄道橋を併設する計画が進んだ。
問題は新しい鉄道橋の駅のホームをどこにつくるか。1つ目の選択肢として橋の外側の尼崎市側に新しいホームを設ける案が浮上した。だが新線路を大きく北にずらさねばならず、従来のホームと別に新たに用地を買収する必要がある。
2つ目の選択肢として従来より川から遠い場所にホームを移動する案もあったが、川の反対側の西宮市側に住む住民にとっては遠くなり、使い勝手が悪い。改札口の場所を移すにしても「あわせて店を建てたりするので変えにくいんです」と梶原さんは説明する。
結果的に橋の上にホームをつくれば新たな用地買収の費用を抑えられるうえ、川の両側の住民から近いため、最も合理的と判断した。21年(大正10年)ごろに尼崎市に近い側の一部にホームを設ける格好で、新しい武庫川駅が誕生した。
ホームが橋全体に広がり、改札が両端にできるようになったのは84年(昭和59年)とされる。経済成長で人口が増え、車両数を増やしホームを延ばす必要が生じたためだ。現在、阪神電鉄は約19メートルの車両を最大6両編成で運行している。
新駅の西宮市側の改札口は阪神武庫川線と統合し、乗客が同じ場所で乗り換えられるようにした。
◇ ◇ ◇
武庫川流域は昔から堤防決壊などで水害に見舞われてきた。武庫川駅は通常橋から水面までの距離が5メートルあるが、今年の台風11号では約1.9メートルに縮まったとされる。「過去には70センチメートルに迫ったこともあるようです」と梶原さんは語る。
阪神電鉄は今も水害への備えを欠かさず、台風の前には必ずメンテナンスするという。駅を安心して利用できるのもそうした細心の努力があってこそ。晴れた日、武庫川駅の穏やかな風景を見てそう思った。
(大阪経済部 西岡杏)