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震災の教訓、未来へ 南三陸町防災庁舎
復興の風景2015冬(2)

2015/12/21 16:55
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赤い鉄骨だけが残り、ぐにゃりと曲がった非常階段の手すり。下に立つと、見上げなければならないほどの高さがある。津波はこの高さ約12メートルの建物を超えた。津波の恐ろしさを感じるとともに、本当にこの高さまできたのかという信じがたい気持ちもある。

2031年までは宮城県が所有して保存することが決まった南三陸町防災対策庁舎。津波はこの高さ約12メートルの建物を超えた

2031年までは宮城県が所有して保存することが決まった南三陸町防災対策庁舎。津波はこの高さ約12メートルの建物を超えた

東日本大震災の発生から時がたつにつれ、震災の記憶は薄れていく。復興が進み、津波の恐ろしさを伝える被災建造物はどんどん取り壊されていく。震災から20年後、2031年までは宮城県が所有して保存することが決まった南三陸町防災対策庁舎は、震災の教訓を未来に伝える大きな役割を担う。

県有化が決まるまでの道のりはまさに紆余曲折(うよきょくせつ)だった。南三陸町の佐藤仁町長は13年9月、維持費用の問題などから一度は解体を表明。その後、政府は各自治体1カ所に限り、保存費用の一部を負担する方針を発表した。県が同年12月に設置した震災遺構有識者会議で検討対象に加わり、1年にわたる議論が続いた。

津波被害で鉄骨だけが残った防災対策庁舎(2011年3月27日)

津波被害で鉄骨だけが残った防災対策庁舎(2011年3月27日)

出た結論は「ぜひ保存すべき価値がある」だった。「県内の震災遺構の中でも価値が特段に高い」とされ、「原爆ドームにも劣らないインパクトと印象」とさえ評価された。町は今年6月、県有化を受け入れた。町民の間で保存への賛否両論が分かれる中、じっくり時間をかけて結論を出す道を選んだ。

佐藤町長はその時の記者会見で「解体の一歩手前までいったが、その度に見えない何かの力で押し戻されてきた。(防災庁舎で亡くなった)43人の町民の思いに応えたのではないかと思っている」と声を詰まらせた。

それから約半年、現地を訪れると、背後には土砂が高さ20メートルにまで積み上げられていた。防災庁舎が小さくさえ見えた。

防災庁舎のある志津川地区は将来の津波に備えて、高いところでは10メートルほどかさ上げする。そのために使う土が、仮置きされているのだ。海岸から500メートルほど離れた場所にある防災庁舎の周辺はかさ上げされずに、町が復興祈念公園として整備する。

復興工事に使われる土砂の山の隣に無残な姿をさらす防災庁舎。今の風景こそ震災を記憶にとどめたいという多くの人に見てもらいたいと思う。

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